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Bobby Vinton Story

Bobby Vintonは1935年4月16日 Stan Vinton(父親)Dorothy Studzinski Vinton(母親)の一人息子としてペンシルべニア州
のキャノンズバーグに誕生した。父親はローカルのバンドリーダーとして活躍しており、中流家庭であった。家は二階建てでボビー
は2回にベッドがあり父親は常に1回で練習をしていた。街にLes Brownなどがやってくると、ボビーがけがをしていても連れていって
くれたようです。グレン・ミラーが全盛であった1938-1942年頃、幼いながらボビーの耳に残っていたと思われます。

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父親のバンドはピッツバーグの"Ball room"や"Country club"で演奏していた。母親はボビーが1時間クラリネットの演奏の練習をすると
25セントをもらい、いろんな楽器の演奏に興味をもっていく。

父親のバンドで修行したあと16歳で自身のバンドを結成しピッツバーグでは人気バンドとなっていきます。父親のバンドStan Vinton Orch.
と区別するためBobby Vinton & his orchestraと改称します。

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大學ではVocal Group"Hi-Lites"に加わる。歌手、コメディアンの二人にサックスなど楽器奏者として。キャノンズバーグではこの頃
Four Coinsというグループが活躍しており、1954年にEpic Recordsと契約し1959年までに"Shangri-la"など7曲をチャート・インさせていた。
ボビーはこのグループとも交流をもち、歌手になることも大きな願望でもあった。
Hi-Litesはグループはやがて"Tempos"と名乗り、メンバーとしてMike Lazo. Gene Schachter(Gene Allan), Jim Drake, Tom Monitoが
Climax Records契約の際、登録され1959年夏"See you in September"が全米23位を記録する。ボビーは発足当時、グループに在籍したが、
この作品の録音には兵役に従事していたため加わっていない。

<レコードの自費制作>
1958年10月には、自費で”Bobby BV501 Twilight time/Hallelujah(1958)で制作しリリース。Elvis Presleyの映画「監獄ロック」に触発
されたためとしている。

1959年3月ボビーは再び自費でレコードを制作”Melody 5001-02 Always in my heart/Harlem nocturne”を放送局に配布しレコード店
での販売をめざした。このセッションには, Jim Drake. Bob McCoy, Sammy Lombardも参加。

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”Always in my heart”
https://www.youtube.com/watch?v=PfGZ10BUz6Y
ペンシルべニアの有力DJ, Dick Lawrenceはこの曲を聴き、ボビーの歌唱力に注目し、ボビーのヴォーカル作品の提供を
求めたため"I love you the way you are"(Demo)を録音しDickに渡す。

https://www.youtube.com/watch?v=VqAE_lHwEcQ
DickはCBS Recordsとの関係をもっており、このデモ・テープはCBSのスタッフにわたる。
ここまでのシングルはBobby Vinton & his orchestraとクレジットされているが、いずれも片面はボビーのソロ・ヴォーカルが
収録されている。

1959年8月
Alpine RecordsはEpic Recordsの姉妹レーベルでボビーはここに、2枚のシングルを残す。4曲とも歌手としての録音で
ソングライターとしての才能も発揮します。(大学では作曲を専攻していました。)
Alpine AE50 You'll never forget/First impression(Aug. 1959)両面ともボビーの自作。
Alpine AE59 The sheik/A freshman and sophomore(Feb.1960)"Sheik"はボビーの自作。B面はJim Drake-G. Schachterの共作で二人はTempos
のメンバーでした。

1960年にはDick Clark's Caravan of starsにバック・オーケストラとして参加。Fabian, Bobby Rydell, Sam Cooke, Tony Orlandoなどと
全米を巡演します。

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同じ1960年にはMerv GriffinのNBCのTV番組"Saturday Prom"にバンドとしてレギュラー出演するなど業界では徐々に知名度をあげていきます。

ボビーがEpicと契約するのは1960年暮れ、Epic側は歌手又はバンド・リーダーのどちらで契約するか考察の上、
まずBobby Vinton & his orchestraとしてデビューさせる。バンドのメンバーにはSam Lombard, Bob McCoyも含まれていた。
これまで日本ではEpicでの入社の折、バンドのデモ・テープを送ったとされていましたが、実際は"I love you the way you are"の
デモ・テープであった可能性が高いと思われます。筆者はこの頃の事情をボビーに尋ねましたが、彼は、話したくないようでした。

<歌手かバンドリーダーか?>
1961年Epicからは2枚のLPと2枚のシングルが発売されます。

LN3727(mono)/BN579(stereo)Dancing at the hop('61)

bvlpdancing.jpeg
ここからシングル Epic 5-9417 Tornado/Posin'('61)が発売。A面はバンド演奏。B面はボビーのヴォーカル入り。
"Posin'"

https://www.youtube.com/watch?v=8ip_MPpocSQ
2枚目のアルバムは LN3780/BN597 Plays for his li'l darlin's; young man with a big band('61)

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ここからシングル Epic 5-9440 Corrine, Corrina/Little lonely one('61)がリリース。A面はバンド演奏。B面はアルバムに未収録で
"Santa Lucia rock"とも呼ばれTom Jones盤が1965年全米42位を記録。

https://www.youtube.com/watch?v=6dtqId85CAI

上記のシングル、LPとも売上は伸び悩みますが、2枚目のアルバムは1965年に日本でも「ハイ・ティーン・ヒットパレード」の
タイトルで発売されアメリカでも1960年代後半Encore seriesの1枚として再プレスされています。
ただデータ配信の対象からは現時点でもこの2枚は、はずされています。
1962年もう1枚シングルをリリース。
Epic 5-9469 Well I ask ya/Hip swinging high stepping, majorette
両面ともボビーのヴォーカルでA面は英国のEdde Kane盤のカバー。
このレコードから制作者としてBob Morganが加わっています。
”Hip swinging high stepping, majorette”

https://www.youtube.com/watch?v=iY05ElLE5r4

この作品もヒットせず、瀬戸際のボビーは"Roses are red"(涙の紅バラ)を大ヒットさせ、苦境を脱するが新たな問題が起きる。
"I love you the you are"(Demo)がCBSからDick Lawrenceに返却され、DickはこのデモをDiamond Recordsに売却しNew Yorkで
大ヒットしたのをはじめ全米でもTOP40にはいるヒットとなり、ボビーは有力DJのこの曲をかけないように要請する騒ぎが起きます。

こうしてボビーにとっては"Always in my heart" "I love you the way you are"デモテープ(自作曲で編曲はJim Drake)
の2曲がボビーの将来をきめたとも言えるでしょう。

"I love the way you are"はこの後ボビーはEpicで2度録音しています。1973年の再録音盤は制作Bobby Vinton 編曲Al Cappsですが
日本では未発売です

https://www.youtube.com/watch?v=I0bC8RWa5kc



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(Early yearsと題された書籍は1993年BV劇場のオープン時に1978年の"Polish Prince"を復刻して改題したもので、内容はそのまま
 で、特に若いころの様子を述べた書籍ではなく書店では入手できず、劇場での販売のみです。)

 
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(2)ミスター・ロンリー
1962年2月16日ボビー・ヴィントンは「涙の紅バラ」などととも
 にNew Yorkで録音した。

 「涙の紅バラ」が大ヒットするとボビーは、次のシングルに「ミスターロンリー」を
 希望したが会社側は納得せず同社のBuddy Grecoに録音させた。
 秋には全米64位まで上昇した。

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 https://www.youtube.com/watch?v=TUZvzc1Wqd0
 ボビーには事前の連絡はなく、偶然ラジオから流れてきたGrecoのバージョンを
 きいてのことでEpicに事情を問いただすと「ボビーは一発屋で、会社が期待する
 Buddy Grecoに同じアレンジで録音させた。」といわれがっかりするが機会を待った。

 1964年の秋Epic Recordsは"Bobby Vinton's greatest hits"の発売を企画。
当時アルバムには12曲収録するならわしがありそれまで11曲あったヒットに
あと一曲ボビーに何を加えるか相談。ボビーの回答は「ミスター・ロンリー」だった。

 
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アルバムが発売されると放送局には「ミスター・ロンリー」のリクエストが殺到。
この時点で会社はシングルとして発売せざるをえなくなった。

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 1964年10月16日にリリースされ12月12日付のチャートで全米第1位を
 記録。
 TV"Shindig"Dec. 2, 1964"の放送から


https://www.youtube.com/watch?v=Iz5Z5VKXsec
 1964年の暮れにはアルバムも制作されリリースされた。
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日本では翌年1月発売され大ヒットした。
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 実際には日本では1962年に「愛さずにはいられない」のB面としてすでに
 発売されたこともあった。

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 翌年にはフランスでJohnny Hallyday盤が”Quand Revient La Nuit"の
 タイトルでヒットした。


 https://www.youtube.com/watch?v=KMwlV9DuQFk
 ボビーはイタリア語でも1966年に録音。
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1969年にはイタリアのRaymond Loverockが"Solo"のタイトルで録音。
 
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 https://www.youtube.com/watch?v=hzCVHN9Fm4k

 日本では1965年に録音されたLetetrmen盤が1971年に特別に
 シングル発売されヒット。

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 https://www.youtube.com/watch?v=s0al7nEkEvE

 FM番組"Jet Stream"ではフランク・プールセル盤を番組のテーマ曲に使用。
 プールセルの演奏盤は1965年のフランスでのヒットを受けての録音で
 この曲がEasy listeningとしても親しめる作品であることが証明された。

 
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 https://www.youtube.com/watch?v=-o862twqDGM

 後には同じフランスのオーケストラ"Caravelli"も録音した。
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 https://www.youtube.com/watch?v=Whsi54zX-ts

 ピアノ演奏ではRoger Williams, Floyd Cramer盤(1965)などもある。

 https://www.youtube.com/watch?v=GnwTKlQ6XRo

1982年には日本のキングトーンズも録音した。
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 https://www.youtube.com/watch?v=o1R-yEpSw20
 2005年にはAkonが"Lonely"にボビーの「ミスターロンリー」を早回しで
 使用し欧米でヒットさせた。

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 https://www.youtube.com/watch?v=6EEW-9NDM5k

 2007年映画「ミスターロンリー」(監督:ハーモニー・コリー)が制作され
 冒頭でボビーの歌が流れた。また「グローイングアップ」(1979)
「アメリカン・グラフィティ 2」などにも使用された。


 https://www.youtube.com/watch?v=Ez-zy9IRD5s
 そしてこの時点ではじめでアメリカ盤アルバムが日本でもCD化された。
 2001年Bobby Vintonは自身の劇場"Blue velvet theater"でのライブで歌い
 PBSを通じて北米の主要都市で放映され
、のちには公演の模様がDVD化された。
 
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(3)Over the mountain

"The greatest hits of the golden groups"Bobby Vinton sings the goodies. with the Jordanaires
Epic LN 24049/26069(1963)

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  Producer: Bob Morgan
Side 1: Over the mountain(across the sea)
Silhouttes
Earth angel
Only you
I'll remember
My special angel

Side 2: The great pretender
Tears on my pillow
Sincerely
Teardrops
A thousand miles away
Goodnight my love
録音: Over the moutain
1963年1月30日 Nashville
    シングル発売
       1963年2月15日

   寸評: これはボビー・ヴィントンの歌手としての3枚目のアルバム。主に1950年代に
       ヴォーカル・グループがヒットさせた作品をジョーダネアーズをバックに録音した
       企画アルバム。録音はナッシュヴィル。ボビーこのアルバムの録音のため
       New YorkからNashvilleへ向かい悪天候から体調をくずしたことから丁寧に歌い
       それが好結果をうんだ。日本ではアルバムは今日まで未発売。「オンリーユー」
       「恋人よおやすみ」のみ編集アルバムで紹介された。
       ここからシングル発売された"Over the moutain"は全米21位を記録した。
       オリジナルはJohnnie & Joe盤で1957年全米8位、1960年に89位を記録
       した。Rex Garvinの作品。
       http://www.youtube.com/watch?v=eJoRnEUjA3M

ボビー盤は最高位21位ながらマニアから高く評価されている。
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       http://www.youtube.com/watch?v=qZ9ADx6MzBg

シングルのB面は"Faded pictures"でE. McKendry-B. Chandlerの作品。
       https://www.youtube.com/watch?v=8o1aSer6BIw
   日本ではGeogia Gibbsの"Love you love you(I will follow him)"と両A面の形で
     発売された。

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   アメリカでは1975年に"Sings the golden decades of love"という2枚組全19曲入りの
   アルバムにそっくり含まれアルバムチャートで154位を記録した。

   
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   残念ながら今日までCD化はされていないが何曲か聴いてみよう。
   "My special angel"は1957年Bobby Helms盤が全米7位を記録。Jimmy Duncanの作品。

https://www.youtube.com/watch?v=zcDpbBPSpnc
”Silhouttes"はFrank Slay, Jr-Bob Creweの作品。1957年Ray盤が全米3位を記録。
https://www.youtube.com/watch?v=N6wxPKVC-TM
   "Earth angel"はCurtus Williams-Gaynel Hodge-Jesse Belvinの作品。
   1955年Crew-Cuts盤が全米3位、Penguins盤が全米8位を記録。

   https://www.youtube.com/watch?v=6x8eTJvjgh8
”Goodnight my love"(恋人よおやすみ)Geoege Motola-John Marascalcoの作品。
 McGure Sisters盤が1957年全米32位を記録。

https://www.youtube.com/watch?v=nCH7et6bxZ4
   
   ボビーが1964年にリリースした"Bobby Vinton's greatest hits"とタイトルが似ている
   ため置き去りにされることも多いがボビーの誠実な人柄がよく出た好盤で初期の
コレクターズ・    アイテムです。
(4Blue on blue/Blue Vevet
 1963年の春、ボビー・ヴィントンのニューヨークのオフィスにある人物がやってきた。
 アメリカでは売出し中で日本ではまだ知名度のなかったBurt Bacharachだった。
 日本では、バチャラッチなどと表記されていた。
そのバカラックが是非、ボビーにと"Blue on blue"をHal Davidとのコンビで作曲し
録音をすすめにやってきたのだった。メロディーを聴いたボビーは「いい曲だね。著作権を譲渡してくれないか」と持ちかけるとバートは「著作権はすでに登録済み」といい席をたち
 帰りかけた。ボビーは急いで追いかけ「No. 1になる曲だ、著作権にはこだわらない。」
 と再度、二人で交渉し1963年4月3日New Yorkで録音。Bacharachは編曲・指揮も担当し
 Bob Morganが制作した。シングルは4月末にリリースされ全米第3位まで上昇した。(VarietyやRecord Worldでは第1位を記録した。)

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 https://www.youtube.com/watch?v=yDvuLJk9Sjc

 そしてこの曲をタイトルとしたアルバムが制作されることになった。コンセプトはタイトルにブルーのつく作品というもので、残りの11曲はすべてNashVilleで同年に5月末にに録音された。
 アルバムには編曲・指揮者としてBacharachの名がクレジットされているが残りの作品の録音に彼は関与していない。

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"Blue on blue"Epic BN 26068(mono LN 24068) (1963)
       日本盤 Epic PS6009(1963-12)

Side 1: 01Blue on blur(Hal David-Burt Bacharach)Recorded on Apr. 3, 1963, New York
02 Am I blue(Harry Akst-Grant Clark)
03 Blue blue day(Don Gibson)
04 Mr. blue(Dewayne Blackwell)
05 Blue velvet(Bernie Wayne-Lee Morris)Recorded on May 27, 1963, Nashville
06 St. Louis blues(W.C. Handy)

Side 2: 01 Blue skies(Irving Berlin)
02 Blue Hawaii(Leo Robin-Ralph Rainger)
03 Blue moon(Lorentz Hart-Richard Rodgers)Recorded on May 29, 1963, Nashville
04 Little miss blue(Bobby Vinton-Shirley Formosa)
05 Blueberry hill(Al Lewis-Larry Stock-Vincent Rose)
06 My blue heaven(Walter Donaldson-George Whiting)
Recorded in Nashville except "Blue on blue"
Musicians in Nashville: Floyd Cramer(piano) Ray Edenton, Harold Bradley(guitars)
Zoe Zinkas(bass) Buddy Harman(drum) Charlie McCoy(harmonica)
Grady Martin(arranger, guitar)

最高位:10位(Billboard album chart)年間チャート 63位
Retitled as "Blue velvet"

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いくつか聴いてみよう。

 "Blue Hawaii"

https://www.youtube.com/watch?v=1kz4GqfYB-k

”Blue moon"映画「狼男アメリカン」(1981)に使用された。
https://www.youtube.com/watch?v=efmcdKVEOhg

”Mr. blue"1965年日本で特別にシングル発売。
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https://www.youtube.com/watch?v=XMelDMtpC0E



 (5)There!I’ve said it again

 "Blue velvet"が大ヒットしたあとの次のシングルは意外なエピソードをもとにきまった。
  シンシナティでのコンサートで地元のロックのラジオ局のDJが突然ボビーのところに
  やってきて「何故"There!I've said it again"を録音しないんだ。」と唐突に叫んだという。
  "There! I've said it again"はRedd Evans-Dave Mannの1941年の作品。1945年に
   バンドリーダーVaughn Monroe And his orchestraのレコードが大ヒット。その後も
   Nat King Coleなども取り上げ1959年にはSam Cooke盤が全米81位を記録。
    ボビーはこのDJの忠告に従い1963年9月5日New Yorkで録音。11月8日にシングル
   がリリースされ1964年1月4日から4週間全米第1位を記録した。

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   https://www.youtube.com/watch?v=uJBMp18TT9g

そしてこの曲をタイトルとしたアルバムは1964年1月にリリースされた。
   

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"There!I've said it again"Epic BN26081(LN24081)
Producer: Bob Mporgan Arr. Cond, by Stan Applebaum
最高位:全米8位 年間チャート 71位 


 side 1: 01 You're nobody 'till somebody loves you(Russ Morgan-Larry Stock-James Cavanaugh)
02 Unchained melody(Hy Zaret-Alex North) rec. on Sept. 5, 1963
03 There!I've said it again(Redd Evans-David Mann)rec. on Sept. 5, 1963
04 If (Robert Hargreaves-Stanley Damerell-Tolchard Evans)
05 My follish heart(Ned Washington-Victor Young)愚かなりわが心
      06 Trying(Billy Vaughn)

side 2: 01 Lavender blue(Eliot Daniel-Larry Morey)
02 To each his own(Jay Livingston-Ray Evans)rec. Sept. 5, 1963
03 I can dream, can't I (Irving Kahal-Sammy Fain)
04 Warm & tender(Lloyd-Bobby Vinton)
05 My heart belongs to only you(Frank Daniels-Dorothy Daniels)ブルーハート rec.on Oct. 23, 1963
06 Too Young(Sylvia Dee-Sidney Lipmann) rec. on Oct.1, 1963

日本未発表: side 1-01
side 2-02

寸評: 日本でも同じジャケット写真を使って同タイトルのLPが発売されたが内容は大幅に
      異なり、上記の2曲以外は日本編集盤で紹介された。見開きジャケットでアメリカで
      ボビーの最良のアルバムとするファンも多いが米でもいまだCD化されていない。
      一度、廃盤になったが8track tape Cassette tapeで1968年頃再発されている。

      

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  現在までCD化がされていないが著作権切れの関係で発売の可能性がある。
いくつか聴いてみよう。"You're nobody till somebody loves you"は1944年の作品。日本未紹介。
 1965年DeanMartin盤が全米25位を記録した。

  https://www.youtube.com/watch?v=L7e_FguvIt0
  "If"は1950年の作品。Perry Como盤が大ヒットした。これも日本未紹介。
  https://www.youtube.com/watch?v=PvC6X9KhojE
"My foolish heart"(愚かなりわがこころ)
  https://www.youtube.com/watch?v=jRQTaMJHwdo

Warm & tender"はボビーの自作。
  https://www.youtube.com/watch?v=LtE3WPCZLeI


そしてこのアルバムがオンエアーされるとDJたちは"My heart belongs to only you"
に注目。この時点で次のシングルがきまった。

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   "My heart belongs to only you"(ブルーハート)
  https://www.youtube.com/watch?v=SmYxitgPEYI
    

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 (6)Tell me why/Clinging vine


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 1964年ボビー・ヴィントンはビートルズをはじめとする英国勢が続々チャートにヒットを送り込む中でも
依然、好調な活躍を続け「ブルー・ハート」"My heart belongs to only you"(全米9位)"Tell me why"(全米13位)とヒットを放ち
アルバム"Tell me why"は7月に発売され最高位31位を記録した。編曲・指揮は前作に続きStan Applebaumが担当しやはり1940年代
1950年代への回帰がテーマとなった。制作は1962年からレコード制作を担当しているボブ・モーガン。
タイトル曲"Tell me why"はAl Alberts-Marty Goldの1951年の作品。Four Aces盤がベストセラーとなりボビー盤はリバイバル・ヒット
を記録した。録音は1964年2月12日。好調なアップルバウムの編曲にボビーは歌のうまさを十分示している。

 https://www.youtube.com/watch?v=GYPfKGkGdSs

”Somewhere along the way"はSammy Gallop-Kurt Adamsの1952年の作品。Nat King Coleがヒットさせた。アルバムではこの曲が
トップに収録されている。

https://www.youtube.com/watch?v=UmRCQ77Cej8

”Imagination is a magic dream"はBob Hillard-B. T. Greenの1964年の作品。後にシングル「君待つ心」のB面としてリリース
されCash Boxでは140位を記録している。

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https://www.youtube.com/watch?v=R5kRUdlVQG8

”There goes that song again"はSammy Cahn-Jule Styneの作品。映画"Carolina blues"(1944)の主題歌。日本ではあまり
知られた作品ではありません。

https://www.youtube.com/watch?v=U_2__ZfiWxM

”I love you much too much"はDon Raye-Alex Olshley-Chaim Towberの1940年の作品。Andrews Sistersがヒットさせました。

https://www.youtube.com/watch?v=96yLUWzhxwI

"Maybe you'll be there"はSammy Gallop-Rube Bloomの1948年の作品。当時、Gordon Jenkins Orchestra盤が話題になりました。

https://www.youtube.com/watch?v=u8Ek4Pn8xkY

このアルバムは大半が1964年の1月から5月にNew Yorkで録音され「愛の讃歌」やアービン・バーリンの作品も2曲収録されて
いるが日本での有名曲が少なく、またボビーのヴォーカルにも前作のようなコントロールの良さがやや後退しジョニー・マティス
の影響をうけた唱法が、少し重たく感じられなどの理由もあり今日まで日本では未発売。アメリカでは前作とは異なり何度もLPが
再発されCD化もされるなど日米で評価の差も感じられる。

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最高位31位という成績がこの時期のボビーのアメリカにおける人気・評価の高さのあらわれといえるだろう。
ジャケット写真は日本でも多用されシングル「そよかぜの恋」CD”Wonderful melodies"などに使用された。

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7月末には次のシングル”Clinging vine"(君待つ心)をリリースする。Leon Carr-Grace Lane-EarlShumanの作品でNashvilleで同年6月2日に録音されたカントリー調のバラードで最高位17位を記録する。日本でも話題となりヒットパレードにもランクされた。この作品は1962年に
出版されており特にボビーのために書かれた曲ではなさそうで、同じEpic Recordsのカントリー・シンガー達も録音している。

J45cling.gif
日本でも藤本好一のカバー・バージョンが発売されたが。こちらは不発。
https://www.youtube.com/watch?v=tR9eKxZgzMw

この後、アルバム"Bobby Vinton's greatest hits"が9月に発売され38週ランクされ最高位12位を記録、アルバムとして最初のゴールド・ディスク
を獲得。当時はアルバムの収録曲数が12曲であったためボビーは「ミスター・ロンリー」の収録を提案。やがてラジオ局のDJたちがオンエア-
を重ねエピック・レコードはシングルとしてリリースし12月12日には全米第1位を記録。この年2曲目のNo.1ソングとなった。
 さらにクリスマス向けにアルバム"A very merry christmas"を10月にリリース。クリスマス・チャートで13位を記録。この年のアルバム・チャートには"Blue velvet"を含めると5枚がチャート・イン。シングルは7曲がチャートにはいり内5曲はTOP20にはいるなど好調な成績でCash
Box 誌ではボビーを最優秀歌手に選出した。

又、BillboardのHot100は1958年8月4日に開始され2018年7月21日の間の60年間でのチャート成績を集計し男性歌手の上位60人
を選出した。第1位はElton John 第2位はElvis Presley, 第3位がStevie WonderでBobby Vintonは19位にランクされPaul Ankaの26位
Neil Sedakaの37位を上回っている。チャートで第1位を獲得した作品にはボーナス・ポイントが加算されるので4曲のNo.1ソングを
もつボビーがこの位置にいるのはある意味当然の結果である。

https://www.billboard.com/articles/news/hot-100-turns-60/8468084/hot-100-turns-60-top-60-male-artists-all-time-elton-john-stevie-wonder-elvis-presley-michael-jackson
この成績の基になっているのは1963-1964年にかけての大活躍であることは言うまでもありません。

1964年の暮れには大ヒットした「ミスター・ロンリー」をタイトルとしたアルバムもリリースされます。

(7)
1964年6月2日ボビー・ヴィントンはNashvilleで"Clinging vine""Satin""Someone I used to know"
の3曲を録音した。この内"Clinging vine"(君待つ心)を7月末にリリースし最高位17位を記録
 した。(Record World誌 11位)

 
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 Earl Shuman-Leon Carr-Gary Laneの1962年の作品で特にボビーのために書かれた作品
 ではなかったがカントリー調の作風でこの後、カントリー系のスターがこぞって録音した。
 日本では久しぶりに洋楽のチャートにも登場した。

 https://www.youtube.com/watch?v=tR9eKxZgzMw

 この年の9月暮れには初の編集盤"Bobby Vinton's greatest hits"が発売された。
 「涙の紅バラ」からここまでのヒットを11曲収録し、2年後にはゴールド・ディスクを獲得
 する。そして今日まで一度も廃盤にならず現在でも米国ではLP.CD, CTで発売されている。

 
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  Epic LN24098/BN26098  Bobby Vinton's greatest hits(1964-9)
   最高位 12位
 Side A 1 Blue velvet,
2 Roses are red(涙の紅バラ)
3 Blue on blue
4 Mr.lonely,
5 Let's kiss and make up(キッスでがっちり)
6 My heart belongs to only you(ブルーハート)
Side B:1There!I've said it again(ブルー・ファイア)
2 Rain rain go away(涙の太陽)
3 I love you the way you are
4 Over the mountain
5 Trouble is my middle name(僕はトラブルメイカー)
6 Tell me why
     制作: Bob Morgan 編曲・指揮:Robert Mersey A-2,4,5 B-2,3,5
Stan Applebaum A-6, B-1, 6
Burt Bacharach A-3
Grady Martin A-1
レコード番号は前作"Tell me why"より若くなっているが,, 実際にはあとでリリースされている。
日本では当時"Best of Bobby Vinton"というアルバムがリリースされたが内容は大幅にことなっていた。

   
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   ポイントは「キッスでがっちり」「僕はトラブルメイカー」"I love you the way you are"(再録音)
   「ミスター・ロンリー」が収録されている点。A-5.B-5はアルバムには初収録。しかもステレオ
   で収録されている。
   "Let's kiss and make up"1962年11月発売 最高位39位

     https://www.youtube.com/watch?v=Xlg9_GRzmRU

   "Trouble is my middle name"同 最高位33位
     https://www.youtube.com/watch?v=yQHh42RhNFQ


   "I love you the way you are"はボビーの自作。1962年のDemo versionがDiamond Records
よりリリースされ全米38位を記録。
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    https://www.youtube.com/watch?v=k2JXF2PGpeg

  "Mr. lonely"はこのアルバムに収録された時点ではヒット曲ではなかったがボビー自身の
    自身のリクエストで収録したところ反響がすごく10月16日のリリース。12月には全米
    第1位を記録した。

    https://www.youtube.com/watch?v=mYvBBl1WAvU

    このアルバム日本では1987年の来日公演にあわせてリリースされたが2年たらずで
    廃盤になった。アメリカでは全曲TOP40ヒットなのでそれだけで楽しめるが日本でヒット
    といえるのは「涙の紅バラ」「ブルーオン・ブルー」「ブルーベルベット」「ミスターロンリー」
    くらいだからかなりのファンでないと退屈してしまう。
    英国でも1990年に"Blue velvet"が大ヒットしたおり、このアルバムに"Halfway to paradise"

    を加えて発売されている。
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(8)

Bobby Vintonの「ミスター・ロンリー」がシングルとして発売されたのは1964年10月16日。
  丁度50年前の事。10月31日からチャート・インし12月には全米第1位を記録した。
   
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  Epic 5-9730"Mr.lonely/it's better to have loved & lost"でB面は自作曲で1964年
   9月24日に録音されシングル・バージョンとアルバム・バージョンがある。
   シングル・バージョン
   
   https://www.youtube.com/watch?v=pvNkfXCp4hk

  アルバム"Mr.lonely"は1964年12月に発売され最高位18位を記録している。
   Epic BN 26154/LN 24154

 
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制作: Bob Morgan 録音 side A: New York side B:Nashville
Side A: 1 Mr.lonely(Bobby Vinton-Gene Allan)rec. Feb, 16, 1962
2 Always always(C. Taylor) rec. Oct. 1, 1964
3 Tina(Bobby Vinton-Lee Morris-T. Lemley)rec. June 19, 1964
4 Forever yours I remain(Hal David-Burt Bacharach) rec. Oct. 1, 1964
5 Life goes on(Paul Evans-Paul Parsons)rec. June 19, 1964
6 Laughing on the outside(Bernie Wayne-Ben Raleigh)rec. June 19, 1964

Side B: 1 Thing called sadness(Chuck Howard)rec. Sept. 24, 1964
2 Grass is always greener(Charlie Rich-Margaret Ann Rich)rec. Sept. 24, 1964
3 I'll never smile again(Ruth Lowe)Nov. 6, 1964
4 Someone I used to know(Bobby Vinton-Lee Morris)June 2, 1964
5 Satin(Bobby Vinton-Lee Morris)June 2, 1964
6 It's better to have loved(Bobby Vinton-Gene Allan)rec. Sept. 24, 1964

編曲:
        A-1 Robert Mersey
A-2 Garry Sherman
A-3 Charles Callero
A-4 Burt Bacharach
A-5 Stan Applebaum
A-6 Stan Applebaum
side B (except)Satin : Bill Walker
2001年にCD化された。

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   日本では2008年映画「ミスターロンリー」の公開にあわせてやっとCD化された、
   英国ではタイトルを変え”Columbia 33SX1725 Laughing on the outside('65)”として
   リリースされた。アルバムとしても素晴らしい内容で彼の代表作の1枚といえる

   
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   いくつか聴いてみよう。
   "Tina"は自作。
    
    https://www.youtube.com/watch?v=19fz1-_yq_E

   ”Forever yours, I remain"(とこしえに貴方を)はBurt Bacharachの作品。
    https://www.youtube.com/watch?v=KcjZMM_YbyI

   ”Always, always"はC. Taylorの作品。ボビーの誠実な人柄がよくでている。
     https://www.youtube.com/watch?v=vpabBz4TbGs

   ”I'll never smile again"(微笑を忘れて)はTommy Dorseyの1940年のヒット。
     https://www.youtube.com/watch?v=qx0BNsRZKtY

   "Satin"(すてきなサテン)は自作。次のシングル"Long lonely night"のB面として
    も紹介される。

    https://www.youtube.com/watch?v=lMVHitPDl7Q

   "Laughing on the outside"は1946年にDinah Shore, Sammy Kayeなどがヒット
   させた作品。

    https://www.youtube.com/watch?v=mPxUVgYFKOg

    そして、タイトル曲"Mr.lonely"は何故かCDではこれまでリリースされてきた
    ものとは少しテイクが異なっている。

    https://www.youtube.com/watch?v=2Kd1_2Z_4HM

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    (9)ミスター・ブルー/ロング・ロンリー・ナイト



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 日本では「ミスター・ロンリー」についで発売されたシングルは以前に「ブルー・ヴェルヴェット」のB面としてでていた
「ミスター・ブルー」が選択された。
「ミスター・ロンリー」も元々は1962年の「愛さずにはいられない」のB面としてでていたこととタイトルに「ミスター」が
ついていたことなどが考えられるが、やはりシングルとしての反応は鈍くマイナー・ヒットにとどまった。
https://www.youtube.com/watch?v=XMelDMtpC0E
さらに日本独自に編集アルバムもリリースされた。(この年には日本で4枚のLPが発売されたがセールスは伸びなかった。)

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アメリカの原盤"There!I've said it again"に収録されていた"I can dream can't I"はここではじめて日本でも紹介された。
https://www.youtube.com/watch?v=J9NvbWQKuUg
アメリカでは1965年2月4日New Yorkで"Long lonely nights""Petticoat white"などを録音し2月19日にはシングルとして「ロング・ロンリー・
ナイト」をリリースした。
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最高位は全米17位、イージーリスニングチャートで第5位にとどまった。編曲はStan Applebaumで元々はLee Andres & the Hearts盤が
1957年に全米45位を記録した作品の焼き直しながら巧みにイージーリスニング向けにアレンジされたが1964年にFour Seasons盤が
全米102位を記録していたことも影響したのか今一つ伸びなかった。
Lee Andrews and the Hearts
https://www.youtube.com/watch?v=i_EMDg3wsu4
Bobby Vinton
https://www.youtube.com/watch?v=4hJjVkosUnw
この時期ボビーはTVに頻繁に出演した。"Ed Sullivan Show""Hullabaloo""Patty Duke Show"など。
"Hulabaloo"からのシーン。
https://www.youtube.com/watch?v=QAlsU1_VlL
アメリカのNBCで1960年代に放送されていた番組「フラバルー」にボビーが出演したのはこの1回のみで
理由については番組でホストを務めたボビーのマネジャーであったアラン・クラインがその出演シーンについて
クレームをつけたため"Bad boy of TV"と呼ばれるようになりこの後TV出演が減ったことが1978年に出版された
自伝"Polish prince"に記載されていますがアラン・クラインについてその役割を否定するような記述はなく
事実を述べるという姿勢が示されています。自伝には記載がありませんがローリング・ストーンズのミック・ジャガーが
ボビーに相談にきたためアラン・クラインを紹介したという事実もあります。
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1965年3月12日ボビーは次のシングル"L-O-N-E-L-Y"をNew Yorkで録音します。編曲はFour Seasonsなどとの関わりで知られる
Charles Calleroが担当。ボビー自身が書いた美しいバラードで4月19日にリリースされ最高位22位、イージーリスニングチャートでは
7位を記録する。これで3作続けてタイトルに「ロンリー」を含む作品となった。
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https://www.youtube.com/watch?v=PxcstaGMgOU
B面の"Graduation tears"(涙の微笑)はBobby Vinton-Gen Allanの作品。オランダでは裏面にもかかわらずヒットチャートにはいるなど彼の
ファンには評価の高い作品。「講堂は涙であふれている。友人たちと別れなくてはならないが、またいつか必ずもどってくる。
卒業式の涙を流すために・・」と歌われる作品。1966年のシングル"Red roses for Mom"のB面"College town"も同じ曲で詩を変えて
録音している。
https://www.youtube.com/watch?v=S0s_2Dc29Hk
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(10)ポピュラー・シンガーをめざして
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1965年ボビー・ヴィントンはアルバム"Sings for lonely nights"の制作にはいりました。
"Have you ever been lonely"(淋しかったかしら)はGeorge Brown-Peter DeRoseの作品。Garry Shermanの編曲でボビーは
優美なヴォーカルを聞かせます。3月4日の録音。
https://www.youtube.com/watch?v=oCErLEGQFes

"Saturday night"はSammy Cahn-Jule Styneの作品。1945年Frank Sinatra盤がヒットしました。ボビーは名アレンジャーMarty Manning
の編曲でじっくり歌います。3月12日の録音。
https://www.youtube.com/watch?v=jLUkxzpYlh8

”So many lonely girls"はLee Morris-Bobby Vintonの作品。編曲はCharles Calello。3月12日の録音。
https://www.youtube.com/watch?v=rWLrccmRn_o

”All alone am I"(淋しくって)はA. Altman-M. Hadjidakis-G. loannidisの作品。Brenda Lee盤が1962年全米3位を記録。
編曲はGarry Sherman。3月4日の録音。
https://www.youtube.com/watch?v=avxtvxNMrUM

”Oh how I miss you tonight"(淋しき今宵)はBenny Davis-Joe Burke-Mark Fischerの1925年の作品。Nat King Coleなども
録音していますがボビーはGarry Shermanの編曲で歌います。3月9日の録音。

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このアルバムは日本でも"Night life"を"Mr.lonely"に入れ替えて発売されましたが、日本盤と米盤ではジャケットが異なり
日本盤のジャケット写真はアメリカではこれまで使用された形跡がありません。
"Hello loneliness"はRobert Aleenの作品。Ray Ellisの編曲で3月16日の録音です。

https://www.youtube.com/watch?v=Zba_GI3k4Rk

その他, Hugo Winterhalter, Alan Lorber, Stan Applebaumなどの名アレンジャーの指揮でストリングスを加えたオーケストラの
伴奏で心地よさそうに歌っていますがチャートでの最高位は116位と今一つふるいませんでした。1曲1曲の出来は悪くないのですが
全体的に同じようなムードの曲が多く、やや退屈な印象を与えてしまう感を否めません。勿論「ロング・ロンリー・ナイト」
「ロンリー」といったヒット作も収録されていますがTOP10にはいるような大ヒットではなく
歌のうまさは発揮されていますが、聞き手を圧倒するような迫力はありません。

1965年6月2日ボビーは女優Jean Harlowの伝記映画「ハーロー」の主題歌"Lonely girl"をRobert Merseyの編曲で録音しますがチャートでの成績
は61位どまりでした。Jay Livingstone-Neal Hefti-Ray Evansの作品でこの映画に使用された"Girl Talk"とともにスタンダード
として残りTony Bennett, Peter Neroなどが録音しています。
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https://www.youtube.com/watch?v=2_kGaSj0hUQ
映画「ハーロー」はこの時期2種の作品が製作された。
harlow.jpg ボビーはCarroll Baker主演、Neal Heftiが音楽を担当した作品でエンド・クレジットでその歌声が流れますがサウンドトラックでは別のバージョンが使用されています。

https://www.youtube.com/watch?v=e4BkeN174JY
映画のサウンドトラック盤はColumbia RecordsよりLPでもCDでもリリースされていますが、どちらにもボビーのヴォーカル・バージョン
は収録されていません。混同されるのはNelson Riddleが音楽を担当した映画でボビーはこちらには関係していません。
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 Epic Recordsはこの時期、「ロンリー・ガール」を中心とした映画の主題歌で構成するアルバムの制作を企画し5月26日から
6月14日にかけて「世界一周」「ゴールド・フィンガー」「夏の日の恋」など12曲を録音し"Drive-in movie time"を同年秋に
発売しました。
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 好選曲でイギリスや日本をはじめ、世界各国でも発売されたものの、バラードでは持ち味を発揮していたものの「モア」や「チム・
 チム・チェリー」など編曲のミスもありアメリカでもアルバム・チャートにチャート・インせずボビーをポピュラー・ヴォーカリスト
 として売り出そうとした会社の思惑は、はずれて一時の勢いは失速します。
 "Dear heart"は同名の映画のテーマ曲でJay Livingstone-Henry Mancini-Ray Evansの作品で録音は1965年5月26日。米盤ではアルバム
の最後に収録されています。

https://www.youtube.com/watch?v=xpEoGFfNT7Q

 "If i should lose your love"(恋がなければ)は自作曲。シングル「ロンリー・ガール」のB面に収録された作品です。
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https://www.youtube.com/watch?v=Vkc1aJyoUNg
こうして「ミスター・ロンリー」から4作続いた「ロンリー」作品の時代は終焉しボビーはクラブ出演に重点を移しステージでの
名声を徐々に高めていったのです。
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Bobby Vinton Sings For Lonely Nights - Bobby Vinton
(11)Drive in movie time
Jean Harlow(March 3, 1911- June 7, 1937)という女優の伝記映画が1965年
 制作された。どういうわけか話がこじれてまとまらず2社で同名の映画製作が並行して
 すすみ、どちらも興行的には不成績に終わった。

  
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 前者はNeil Heftiが音楽を担当。後者はNelson Riddleが担当した。音楽の世界では
 前者から"Lonely girl""Girl talk"という2曲のスタンダードを生んだ作品として知られている。
 Bobby VintonはNeal Hefti-Jay Livingston-Rymond Evansの"Lonely girl"を1965年6月
 2日に録音した。

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 https://www.youtube.com/watch?v=KBh7jMFWqHU
 ここで紹介したバージョンは市販されているスタジオ録音盤とは異なるサントラバージョン。
 Epic Recordsはこの機を逃さず、映画音楽の主題歌を収録したアルバム"Drive in movie
time"を企画した。
 Epic LN24170/BN26170 Drive-in movie time(1965-7)(日本盤 PS-1285 1965-12)

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 Side A: 1 Chim chim cher-ee(R..M.Sherman-R.B. Sherman)
2 Around the world(Victor Young-Harold Adamson)世界一周
3 Theme from " A summer place"(Mack Discant-Max Steiner)夏の日の恋
4 Goldfinger(Anthony Newley-Leelie Bricusse-John Barry)
5 Moon river(Jonny Mercer-Henry Mancini)
6 Never on Sunday(Billy Towne-Manos Hadjidakis)日曜はダメよ
Side B: 1 More(Norman Newell-Nino Oliviero-Riz Ortolani)
2 Song from Moulin Rouge(William Engvick-Georges Auric)ムーラン・ルージュの歌
3 From Russia with love(Lionel Bart)ロシアより愛をこめて
4 Theme from "Harlow"(Neil Hefti-Jay Livingston-Ray Evans)
5 Exodus song(Pat Boone-ERnest Gold)栄光への脱出
6 Dear heart(Jay Livingstone-Ray Evans-Henry Mancini)
制作:Bob Morgan
編曲: B-4 Robert Mersey
録音:A-4,5, B-3, 6 May 26, 1965
B-4 June 2, 1965
A-3, 6, B-1, 5 June 14
A-1, 2, B-2 June 17
2002年にCD化され昨年にはDigital 配信が開始され、権利の関係でyoutubeでは
      鑑賞不能状態になっているので、実際の音を聴いていただくにはCDを購入ないし
      Degital musicを利用するしかない。

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  選曲の良さ、さらにクレジットされていないがオーケストラの力量もなかなかのもの
 「夏の日の恋」「ムーンリバー」「日曜はダメよ」「ムーランルージュの歌」「ロシアより愛を
 こめて」「ロンリーガール」「ディア・ハート」などのできがいいがアルバムチャートにはランク
 されずにおわっている。
  「恋がなければ」"If I should lose your love"はシングル「ロンリーガール」のB面の自作。

  https://www.youtube.com/watch?v=Vkc1aJyoUNg
  "Don't go away mad"はこの時期英国でのみ発売されたシングルで
Neil Diamondの作品。制作はMike Post

https://www.youtube.com/watch?v=Ppjsm891zqQ
「ロンリーガール」はチャートでは最高位61位に終わり「ロンリー路線」も終焉。
  次のシングルは Epic 5-9846 What color(is a man?)/Love or infatuation(Sept. 1965)
A面はMarge Bartonの作品。最高位38位を記録。

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  https://www.youtube.com/watch?v=F6b0BpTNz_0
 B面は自作の「恋に夢中」
 https://www.youtube.com/watch?v=PTPYQ2MA1tQ
こうして1965年も快調とはいえないまでもヒットを放ち地位を保った。
  
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(12)Satin pilllows &Careless

1965年10月20日Bobby VintonはNashvilleで"Satin pillows"と"Careless"
を録音。熟考の上"Satin pillows"をA面にて11月12日シングルとしてリリース
 した。

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 https://www.youtube.com/watch?v=gO1QsFVehDA
 翌1966年にかけてヒットし最高位23位を記録。
のちに作者のSonny Jamesも録音。Sandy Posey盤もよく知られている。

 
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B面の"Careless"も全米111位(Cash Boxでは82位)まで上昇した。
 https://www.youtube.com/watch?v=lG2Ka6LXGgE
 日本でも1966年の洋楽のチャートにはいった。
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1966年1月この2曲を収録したアルバムをリリースした。
 
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Epic LN24182/BN26182 "Bobby Vinton Sings Satin pillows and Careless"
Side A: 1 Petticoat white(Summer sky blue)Doc Pomus -Mort Shuman
2 Bitter teardrops(Gene Allan-Bobby Vinton)
3 All the king's horses(All the king's men)Doc Pomus-Mort Shuman
4 Careless(Lew Quadlong-Dick Jurgens-Eddy Hpward)
5 You own my heart(Doc Pomus-Anne Jeffreys)
Side B 1 Satin pillows(Sonny James-Bob Tubert)涙のサテンピロウ
2 Two purple shadows(Sammy Myles-Dick Sanford)
3 Everyone's gone to the moon(JOnathan King)
4 Going steady with a heartache(Bobby Vinton-Lee Morris)
5 Someday(You'll want me to want you)Jimmie Hodges

制作:Bob Morgan & Billy Sherrill
編曲 A-1: Garry Sherman
A-3 Robert Mersey
録音: A-1 Feb. 4, 1965
A-2 Oct. 17, 1962
A-3 Oct. 24, 1962
A-4 B-1,2 : Oct. 20, 1965
A-5 Jan. 17, 1963
B-3 Aug. 6, 1965
B-4 Nov. 18, 1965
B-5 May 13, 1965
録音地:New York & Nashville
最高位・110位
     日本では今日まで未発売。”Petticoat white/All the king's horses"はのちに
     シングルカットされ最高位81位を記録。
    "Bitter teardrops"は自作曲。録音は1962年と古く裏声を使い"Mr.lonely"
を思い起こさせる作品。
       
https://www.youtube.com/watch?v=o0IZ2qGOxHc

    "You own my heart"はボビーに向いた佳曲。
     https://www.youtube.com/watch?v=2P8_WJX1u0U

    "Two purple shadows"は1954年Jerry Vale盤がヒット。
      https://www.youtube.com/watch?v=dX7msbnfKxI

    "Everyone's gone to the moon"は作者のJonathan King盤がヒット。
     (全米17位 全英4位)

     https://www.youtube.com/watch?v=VFLEz7rED1o

    "Someday"は1949年Mills Brothers盤がヒット。
     https://www.youtube.com/watch?v=6fuDpL059hE

     アメリカでは2002年にCD化された。
     
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   やや寄せ集め的な内容で、アルバムの売れ行きもそれほど伸びなかったと推測される
   

   
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(13)想い出のサンレモ
1966年はボビー・ヴィントンにとってそのキャリアの転換となる年であった。
1月7日"Tears"(想い出の涙)と"Country Boy"を録音し前者のシングル発売を決め後者はアルバム・トラックに残した。

 
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曲は前年イギリスでKen Dodd盤が大ヒットしたもののアメリカではあたらずボビーがチャールズ・カレロの編曲で録音し,抒情性あふれるいい歌唱を聞かせているが最高位は59位どまりに終わった。

https://www.youtube.com/watch?v=a4LWa0e9XyU
ヒットチャートには前年暮れに発売されたシングル"Satin pillows/Careless"が
 両面ヒットし前者が最高位23位、後者も111位を記録した。
 
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 "Careless"(Eddy Howard-Dick Jurgens-Lew Quarding)は1939年の作品。
1940年Glenn Millerのレコードがヒットしています。
https://www.youtube.com/watch?v=C1-pgx9O3_k

 1月27日にはイタリアで開催されたサンレモ音楽祭に参加し"Io non posso crederti"(あなたは信じられない)を歌うが、入賞は逃すが、スタジオで録音しイタリア
ではヒットを記録する。この時期のサンレモは毎年、アメリカのティーン・アイドルたち(Bobby Rydell, Johnny Tillotson, Gene Pitneyなど)を積極的に参加させ
ており,ボビーはこの音楽祭に参加してカンツォーネの魅力をしり,同時に「生命をかけて”Io ti daro di piu"も録音した。
 
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 https://www.youtube.com/watch?v=YD6kCTABTyA
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 イタリアではこの後"Mr.lonely""L-O-N-E-L-Y"をイタリア語で録音したほど。
 
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 https://www.youtube.com/watch?v=ivSTo6a-atU

イタリアからアメリカにもどったボビーは次のシングル"Dum-de-da"(恋する二人)を録音する。Merle Kignore-Margie Singletonの作品で1964年にはJohnny
Tillotsonが"She understands me"のタイトルでリリースし最高位31位を記録している。オリジナルはTeresa Brewer盤で"He understads me"のタイトルで録音している。ボビー盤は会社のプロモートにもかかわらず最高位は40位どまりにとどまった。

 
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 https://www.youtube.com/watch?v=mkFJSNE5snE
 B面にはClarinet演奏で"Blue clarinet"が収録された。
 https://www.youtube.com/watch?v=khhp17bHnwc
 夏には"Petticoat White/All the king's horses"をリリースするが最高位81位
 にとどまる。ともにDoc Pomus^Mort Shumanの作品でアルバム"Satin pillows
and Careless"からのシングル・カット・
 https://www.youtube.com/watch?v=IX8KsZo08Pw
 ここまで発売されたアルバムは
 1Sings satin pillows and careless 最高位110位を記録。

 
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 収録曲: You own my heart(Doc Pomus-Anne Jeffreys)
https://www.youtube.com/watch?v=Q97qFtYDAlQ
2 More of Bobby's greatest hits
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3 Country Boy
 
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の3枚でアメリカではCD化されているが日本ではLP,CDとも未発売。2はこの時期のシングルがステレオで収録されておりファンは必携。3はヒット曲こそはいいっていないが秀逸な作品。Nashvilleで本格的にカントリーの挑戦し見事な成果をだしている。
 

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 1966年にはCopacabana, Coconuts Groveなどのナイト・クラブでの公演の成功など、まだまだ尽きない話題があります。次回に紹介します。
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(14)Country boy
"Country boy"Bobby Vinton Epic LN24188/BN26188(1966)
はボビー・ヴィントンの14枚目のオリジナルアルバム。

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 Side A:1 I'm just a country boy(Fred Brooks-Marshall Barer)
2 Living in a house full of love(Billy Sherrill-Glen Sutton)恋のフルハウス
3 Gone(S. Rogers)
4 Remembering(Bobby Vinton)はかない夢
5 Detour(Paul Westmoreland)
Side B: 1 Riders in the sky(Stan Jones)
2 Alabam(Lloyd Copas)
3 Crazy(Willie Nelson)
4 Once a day(Bill Anderson)
5 Y'all come(Arlif Duff)
制作: Bob Morgan & Billy Sherrill
録音: A-1 Jan. 7, 1966
A-2 Nov. 11, 1965
A-3 Aug. 10, 1965
A-4 Feb. 20, 1964
B-1 Nov. 18, 1965
B-2~5 Aug. 13, 1965
録音地:Nashville
このアルバムはボビーが初めてカントリーナンバーに取り組んだ意欲的な
    作品。自身のヒットは1曲もはいっていない。そのためアルバムチャートには
    ランクされていないがコンセプトアルバムでもありできも素晴らしい。
    2001年にCD化された

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"Riders in the sky"は1949年の作品。Vaughn Monroe盤がヒットした。
  https://www.youtube.com/watch?v=RWm2985gTLs

  "Living in a house of love"(恋のフルハウス)は同じEpicのDavid Houston盤が
  全米117位を記録。

  https://www.youtube.com/watch?v=UabURifstS0

  "Crazy"は1961年Patsy Cline盤が全米9位を記録。
  https://www.youtube.com/watch?v=V3nLRm1Utmg

  "Alabam"は1960年Pat Boone盤が全米47位を記録した。
  https://www.youtube.com/watch?v=IBQXZ4Hb7ws

  "Once a day"はConnie Smith盤が1964年101位を記録。
   https://www.youtube.com/watch?v=OjZKO0_fTdU

  "Remembering"(はかない夢)はBobbyの自作。1964年シングル"Tell me why"
のB面としてリリースされている。 

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  https://www.youtube.com/watch?v=kpICD-uD0tk

 タイトルソング"Country boy"はHarry Belafonte, Brothers Four
などもとりあげているがDon Williams盤が1977年カントリーチャートで第1位
 を記録している。

  https://www.youtube.com/watch?v=evNm4jOqx9I

  このアルバム昨年からアメリカではデータ配信が開始され現在もアメリカでは
  高く評価されている。

  
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(15)3人のロバート

3人のロバート

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ボビー・ヴィントン(スタンリー・ロバート・ヴィントン)
1962-1965年の間、好調を維持していたボビーだが1966年になると、やや人気が後退し、いろんな試みがなされた。当時ボビーのマネジャーを務めていたアラン・クラインは後にボビーの紹介で英国のAnimals, Rolling StonesなどをへてやがてはBeatlesとも関係をもち、グループを分断するようなやりてでもあった。
 
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 Copacabana, Coconuts Groveのようなナイトクラブへの出演でエンタテイナーとしての魅力をアピールし新しいファン層を築こうとした。1966年5月末から6月上旬にかけて出演した"Copacapaba"では公演の模様が録音され公式にアルバム"Lve at the copa"としてリリースされた。
 
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Times Squareには宣伝用に大看板が掲げられた。
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アルバムには6月2日と3日の公演から内容を選び収録されたが、音だけでは限界もあったようです。
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 Hit medley: There!I've said it again/Roses are red
Washington Square(Village Stompers) Blue velvet(Bobby Vinton)
 https://www.youtube.com/watch?v=f_B5ic8sNwc
 ここで当然、Village Stompersが何故ボビーの公演に参加しているのか?
 という疑問がでる。「ワシントン広場の夜はふけて」の大ヒットのあとパットせず
 Epic Recordsは彼らを解雇しようとしていた。それに待ったをかけたのは
 ボビーで彼らを再生させようと実質的に彼らの権利を取得しアルバム"One
more time"をボビー自身がアル・カイオラを編曲者に雇い制作したのです。

 
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そしてシングルとして
 "Mame"をリリースしますが、あたらず彼らは解散へと向かいボビーの思惑は
 はずれてしまいます。

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 ボビーの関心はVillage Stompersより当時Epicに在籍していたGlenn Miller
Orchestraにあったのです。彼らのレコード制作を担当していたのがBob Morgan
でMorganは彼らに"Blue velvet""Mr.lonely""There!I've said it again"なども録音させています。ところがGM orch.はこの公演の頃にはレコード会社を移籍し
Bob Morganも新しい活躍を求めてフリーとなりCBSを退社してしまうのです。

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 Bob Morgan(Robert Morgan)

 アルバムに戻りましょう。この他ボビーが地方公演で主役をつとめたMusical"Music Man"からの1シーンを演じたり、おなじみのInternational Medley,過去に活躍したエンタテイナーへのtribute songなどが続きます。
 "Old MacDonald"では楽器演奏のテクニックを披露します。トランペット、クラリネット、サックスそれにタップダンス
 も披露しています。

https://www.youtube.com/watch?v=wusLG5eV-Ao

 "Mr.lonely"には特別な思い入れがあるのでしょう。メドレーではなく切り離して歌われます。
 https://www.youtube.com/watch?v=Nd9JCQG9VFM

公演は成功しますが、アルバムのセールスは伸びず、若者ばかりでなく大人たちからも好感を持たれていたボビーでしたが、ショウ・ビジネス界はそれほど甘いものでなく、やはりヒット曲が必要だったと思われます。

当時、ベトナム戦争にどっぷりつかっていた米国ですがボビーは自国への想いをはせ自作の"Coming home soldier"を1966年10月4日New Yorkで録音。
制作・編曲・指揮はRobert Merseyが担当しました。「ミスター・ロンリー」
 の続編ともいうべきこの曲は米国民の支持を得て最高位11位を記録するヒットとなりました。
ロバート・マーシー(1917-1994)は当時Andy Williamsのレコード制作に区切りをつけボビーがNashvilleに拠点を移し活躍を始めるまでの短期間ボビーのレコード制作を担当しヴォーカリストとして育つように巧みにプロデュースをしアルバムの制作に着手します。




(16)Red roses for Mom
1966年"Coming home soldier"はBillboardでは最高位11位,Cash Boxでは8位を記録。
 ボビーには久々の大ヒットとなりました。当時、丁度、ベトナムからの帰還兵が本土に迎えられたことも
 あり、この作品に大きな注目が集まったのはタイムリーなことも影響しましたが、ヒットチャートにこういった
 作品がランクされるのは、このあたりが最後で、以降は、チャートでは、見かけなくなりました。

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  日本ではボビーのレコードの発売権を持っていた日本コロンビアは、当初、発売しない意向でしたが
 日本に存在したファンクラブの努力により、なんとか発売にこぎつけたものの、CBSソニーが発足するまで
 ボビーのレコードの日本での発売は、LP,シングルとも発売が見合わせられ、アメリカでは好調を維持
 していたボビーの活躍は日本では伝えられない状況が続きました。

 
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 制作を担当したRobert Merseyは当然ながらこの曲をメインとしたアルバムを企画しました。
 "For he's a jolly good fellow"はRay Stevensの作品でアメリカでは結婚式や誕生日パーティなどで
 歌われる"For he's a jolly good fellow"をベースにして作曲され1967年2月にリリースBB誌66位 CB誌54位と
 今一つふるいませんでした。B面 はBert Kaempfert-Milt Gabler-Herbert Rehbeinの作品"Sweet Maria"で
 こちらはRay Ellisが編曲している。制作はBob Morgan.
https://www.youtube.com/watch?v=3Ge_GcFkwho

 
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https://www.youtube.com/watch?v=zUS4yru9CAE

 当時はアルバムの収録曲数は10曲ないし11曲が一般的でマーシーは、ヒットチャートのなかからスタンダード
 性の高い作品を選びボビーの成長した姿をファンに届けようとソフトでロマンティックそして歌のうまさを
 強調しヴォーカリストとして大人にも通用するような作品を中心に選んだのです。1967年4月24日にアルバム
 "Bobby Vinton sings the newest hits"はリリースされました。
 "All"は映画"Run for your wife"の主題歌でチャートではJames Darren盤が1967年35位を記録した作品。

 https://www.youtube.com/watch?v=Hy1OFGMLWSs

”This is my song"(愛のセレナーデ)は映画「伯爵夫人」(1967)のテーマ曲でPetula Clark盤が全米3位
 を記録。
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 https://www.youtube.com/watch?v=dZlYBKEJqXI

”Sunrise sunset"はMusical「屋根の上のバイオリン弾き」の主題歌。Roger WilliamsやEddie Fischer盤が
 チャートにはいりスタンダードとしてお馴染みの作品。Jerry Bock-Sheldon Hamickの作品。

 
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 https://www.youtube.com/watch?v=UDz8e2edlaQ

"Georgy girl"は同名映画のテーマ曲でTom Spring Field-Jim Daleの作品。Seekers盤が全米2位を記録
 する大ヒットとなっています。ボビーの個性にあった作品で日本で未発売なのが不思議です。

 
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 https://www.youtube.com/watch?v=rjutRWIBb3k

  "Born Free"は映画「野生のエルザ」の主題歌でアカデミー主題歌賞を受賞したJohn Barry-Don Black
の作品。ボビーの伸びのある美声を堪能できます。

 https://www.youtube.com/watch?v=LyJC73lX8eI
アルバムには この他「いそしぎ」「この世の果てまで」「コール・ミー」なども収録され 発売前から放送局では
 大変な評判でしたがチャート・インすることもなく終わってしまいました。

 
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  原因として考えられるのが大ヒットとなった"Coming home soldier"をタイトルに使用しなっかったことが
 考えられます。CD化も遅れ昨年(2018)やっとデータ配信と同時にSony Music on Demandの一枚として
 アメリカのアマゾンを通じてCDが販売がされました。(蛇足ながら1963年の"Greatest hits of the golden
groups"もこのシリーズで復刻され、こちらは限定されたCD shopで販売されました。)

 
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LPのジャケットの裏面には、これまで発売されたアルバムが曲目と同時に掲載されています。

  
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 4月にはやはり自作の"Red rosees for Mom"がリリースされます。この作品は「母の日」にちなみボビーが母親
 のドロシーに捧げた作品で哀愁の漂う美しいバラードでしたがBB95位 BC90位とチャートの下位にとどまりました。制作はやはりRobert Merseyです。一人っ子として育てられたボビーの母親への想いはこの作品にも表現されています。

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Bobby and Dorothy Vinton(mother)
 
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 https://www.youtube.com/watch?v=vbZBIt1YTMY

 Robert Merseyとは3枚のシングルと1枚のアルバムを残し、Nashvilleという新しい環境でBilly Sherrillを制作者に迎えボビーの新しい挑戦が始まりますが
かって「ブルー・ヴェルヴェット」「君待つ心」「涙のサテンピロー」などはNashville
録音ですからボビーに不安はありませんでした。

 
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 ビリー・シェリル
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 ボブ・モーガン→ロバート・マーシー→ビリー・シェリルと3人の制作の援助をえてボビーは着々と経験を重ねヴォーカリストとして成長していったのです。

(17)Please love me forever
制作者のBob MorganがフリーとなりRobert MerseyをはさみBilly Sherrillが
 3人目のProducerに就任したのは1966年。Billy Sherrill (born November 5, 1936
 Alabama~)は1962年Nashvilleに移りSun Recordsのスタジオを管理したあと1964年
 CBSに入社、主にカントリーアーティストの制作を担当しDavid Houston, Tammy Wynnette,
George Jonesなどを一流スターに育てボビーのレコード制作には1965年頃から
 Bob Morganの共同制作者としてかかわり1966年から単独ですでに数曲のレコード
 をすでに制作していた。
 Epic 5-10228 Please love me forever/Miss America(Sep. 1, 1967)が第1弾シングルとして
 選ばれた。

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 A面はオリジナルではなく1958年にTommy Edwards盤が全米61位。
1961年にはCathy Jean & the Roommates盤が全米12位まで上昇している。
Joh Malone-Ollie Blanchardの作品。ボビー盤は最高位全米6位を記録する大ヒット
となった。

 https://www.youtube.com/watch?v=lXCl3no_uSE
 B面の「ミス・アメリカ」は毎年Atlantic Cityで開催されたMiss America Contest のテーマ
 曲でBernie Wayneの作品でボビーは1962年2月「涙の紅バラ」などとともに
 録音されていた。

 https://www.youtube.com/watch?v=PU7EM4LUe-o

この結果を受け同名のアルバムの制作が企画された。
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Epic LN24341/BN26341 Please love me forever/Bobby Vinton(1967-12)
Side A: 1 Please love me forever(いつまでも愛して)John Malone-Ollie Blanchard
Rec.Dec. 8, 1966
2 Just as much as ever(Charles Singleton-Larry Coleman)Rec.Mar. 10, 1966
3 Love me with all you heart(太陽は燃えている)Maurice John Vaughn-Mario
Rigual-Carlos Rogual Rec.Oct. 13, 1967
4 Young love(Carole Joyner-Rick Cartey)Rec. Oct. 13, 1967
5 It's all in the game(恋のゲーム)Carl Sigman-Charles Dawes Rec Oct. 12, 1967
Side B: 1 P.S.I love you(Johnny Mercer-Gordon Jenkins)Oct. 12, 1967
2 It's the talk of the town(街の噂)Marty Symes-A. J. Neiburg-Jerry Livingstone
Rec. Oct. 11, 1967
3 Bouquet of roses(バラの花束)Steve edward Nelson-Bob Hillard)
Rec. Oct. 11, 1967
4 Who's sorry now(Bert Kalmer-Harry Ruby-Ted Snyder)Rec. Dec. 9, 1966
5 After loving you(Eddie Miller-Janet Lantz)Rec. Oct. 11, 1967
6 My song of love(Billy Sherrill-Glen Sutton)Rec. Oct. 11, 1967
Forget me not( 8track only)Billy Sherrill-Glen Sutton Rec.Nov. 16, 1965
録音地:Nashville
      アルバム最高位: 41位(1968)
いくつか聴いてみよう。
    "Just as much as ever"はBob Becham盤が1959年全米32位を記録。
     ボビー盤はシングルカットされ全米24位を記録。

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     https://www.youtube.com/watch?v=AyZBXJ4dHvk
    "Love me with all your heart"(太陽が燃えている)はRay Charles Singers盤が
     1964年全米3位を記録。日本では1971年Engelbert Humperdinck盤がヒット
     している。

     https://www.youtube.com/watch?v=cgUSh7RIkX8

    "Young love"はSonny James, Tab Hunter盤が1957年共に
全米第1位を記録している。

     https://www.youtube.com/watch?v=XRheb1SPjY4

    "P.S. I love you"は1934年の作品だがボビー盤はのちに
TV映画"Madmen"に使用され注目された。

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    https://www.youtube.com/watch?v=rzUiLJ6LluU

     "Who's sorry now"は1923年の作品。1958年Connie Francis盤が全米4位
     を記録した。ボビーの明るい表現も魅力がある。

     https://www.youtube.com/watch?v=UxxNYXYn9UA

     "Forget me not"はLPには収録されず8 Track tapeのみに収録された貴重な
     テイク。次のアルバム"Take good Care of my baby"にも収録されているが
     テイクがことなっている。

     https://www.youtube.com/watch?v=_a_IGEihDRA
     アメリカでは2002年にCD化されたがこの曲は収録されていない。
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     日本ではCD化どころかLPもリリースされていない。タイトル曲のみ編集物
     に収録されているのみである。

(18)さよならベイビー/虹のパラダイス
 1968年ボビー・ヴィントンはCarole King-Gerry Goffinの作品でBobby Vee盤が1961年に全米第1位を記録した
"Take good care of my baby"(サヨナラ・ベイビー)を2月16日に録音する。

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3月15日にリリースされたシングルは最高位33位を記録する。
https://www.youtube.com/watch?v=4yVc49XV8rM
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Epic Recordsは同名のアルバム"Take good care of my baby"の制作を指示しBilly Sherrillの制作で録音作業にはいった。

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2月16日には"Heaven’s gonna miss you""Little barefoot boy"(素足の少年)を録音する。後者はのちにシングル「こんなに愛しているのに」のB面としてもリリースされる自作曲。前者はBen Petersの作品。
https://www.youtube.com/watch?v=IadQWBA12aA

"To think you've chosen me"は前日の録音。B. Benjamin-G. D. Weissの作品。1950年にEddy Howard盤がヒットしている。

https://www.youtube.com/watch?v=HBdPOSfWt8c

残りのトラックは、それまでに録音されていた作品のなかから選ばれた。"Serenade of the bells"はAl Goodhart-Alfred Urbano-
Kay Twomeyの1947年の作品。Jo Stafford盤が当時ヒットした。ボビーの録音は1966年12月8日。ボビーの持ち味がよくでた
作品でこのアルバム中で最高の出来といっていい。

https://www.youtube.com/watch?v=Zy6IUS-tK5s

"Sentimental me"はJimmy Cassin-Jim Moreheadの作品。1950年Ames Brothers盤がヒット。ボビーは1962年にも録音
しているが1968年1月11日の再録音。

https://www.youtube.com/watch?v=iwaFgjucu4Q
"I apologize"はAl Hoffman-Al Goodheart-Ed Nelsonの作品。1951年Billy Ecksteine盤がヒット。ボビーの録音はジュークボックス
で評判になりました。1968年1月12日の録音。

https://www.youtube.com/watch?v=TNNuNJm1E6M
このアルバムは日本では未発売。アメリカでは2002年にCD化され2 on 1 CDのなかでは最高の評価を得た。

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 "My way of life"はSonny Curtisの作品。1966年12月9日の録音。フランク・シナトラのヒット曲とは同名異曲。
https://www.youtube.com/watch?v=iGo1_S7ooww
このほかこのアルバムには"To be alone""Forger me not"などが収録されていますが、やや地味な選曲で1968年5月にリリースされましたが最高位は164位どまりでした。2ヶ月間チャート・インしボビーはその美声をいかして好調なヴォーカルを披露しています。
1965-1968年の録音のなかから編集された作品ですが、よくまとまっており、前作を上回る内容です。

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 日本で1969年発売された4曲入りEPにはこのアルバムのジャケット写真が使用されています。

1968年5月8日には"Halfway to paradise"(虹のパラダイス)を録音し6月21日にはリリースし最高位23位を記録します。
カナダではTOP10にはいるなどかなりのヒットを記録します。また英国でも注目されました。
Carole King-Gerry Goffinの作品で1961年には当時Epicに在籍していたTony Orlando盤が全米39位を記録しています。

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このシングルには2種のPicture sleeveが存在します。日本でも1968年12月に発売されましたが残念ながら日本向きの作品ではなく
注目されませんでした。Tony Orlandoのバージョン(邦題は「遥かなるパラダイス」)

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https://www.youtube.com/watch?v=cz35gIKB4eE

Bobby Vintonのバージョン(邦題は「虹のパラダイス」)
https://www.youtube.com/watch?v=__FhWeCV10A
ボビーのヒットでこの曲の評価が高まり以降、Ben E. King, Johnny Nashなどいろんなジャンルのアーティストが取り上げています。
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ロック、ソウル系のグループ、シンガーがヒットパレードを占拠しているこの時期のボビーの活躍は驚異的ともいえる。
さらにProducerのBilly Sherrilは次の有力なプランをもっていた。

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Take Good Care of My Baby - Bobby Vinton
Take Good Care of My Baby - Bobby Vinton

(19)I love how you love me
Bobby Vintonの次のシングルは1968年8月29日に録音された
  Barry Mann-Larry Kolberの作品"I love how you love me"で10月
  4日には Epic 5-10397 I love how you love me/Little barefoot boyとして
  リリースされた。

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  ボビーの1960年代後期を代表する大ヒットとなった、この作品
  "I love how you love me"は新曲ではなく1961年Paris Sisters盤が全米5位を記録
  していて邦題は「貴方っていい感じ」だった。その後もNino Tempo & April Stevens,
作者のBarry Mannなどが録音していた。

  Paris Sisters盤 
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  https://www.youtube.com/watch?v=lwGSKea-lGw
  Barry Mann盤
  
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  https://www.youtube.com/watch?v=S8XxU4OeiqE

 ボビー盤はBilly Sherrillの制作でNashvilleで録音された。
 邦題は「こんなに愛しているのに」で1969年4月に発売され日本でもスモール・ヒット
 を記録した。

 https://www.youtube.com/watch?v=p-6P0SzPUvc
 アメリカでは最高位9位ながらゴールドディスクを獲得。(Cash Boxでは4位を記録)

 日本ではモコ、ビーバー オリーブという女性3人組のレコードが「わすれたいのに」
 というタイトルで録音し発売されヒットした。

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 そして洋盤ではLettermen盤が「わすれたいのに」のタイトルで発売されヒットした。
 
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  https://www.youtube.com/watch?v=FiG4q_mB25k
 Claudine Longet盤も当初「こんなに愛している」から「わすれたいのに」と改題して
 再発された。

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  Claudine Longet盤(1967)
https://www.youtube.com/watch?v=prE1GebtaKw
この他Peaches & Harb盤(1967)
 
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https://www.youtube.com/watch?v=qGnvm4gZQL4

Ray Conniff Singers(1969)
 
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https://www.youtube.com/watch?v=tC9pRUk7uvA

Bert Kaempfert Orch.(1969)
 
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https://www.youtube.com/watch?v=mdEYO3nedjU
 なども録音した。
その後もGlen Campbell(1983)ACチャート35位, Lynn Anderson盤(1979)カントリー
 チャート18位などが話題になったポップスの名曲。

 Glen Campbell盤
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 https://www.youtube.com/watch?v=khMPfgOn4rk

Lynn Anderson盤
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  https://www.youtube.com/watch?v=gcIq2UB7kiM

 Bobby Vintonの別テイクもあるし1998年には再録音している。
 Alternate take
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https://www.youtube.com/watch?v=6K4rZL6eWSk

Rerecording(1998)
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https://www.youtube.com/watch?v=cdmGsTg7mtI

シングルのB面「素足の少年」"Little barefoot boy"は自作曲でAlbum
"Take good care of my baby"に収録されていた。

  https://www.youtube.com/watch?v=AbjzA0_WthE

 もちろんAlbum"I love how you love me"も制作されたが次回に紹介しよう。

  
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(20)Those were the days(悲しき天使)
Bobby Vintonのアルバム"I love how you love me"は18枚目のスタジオ録音アルバム。
 アメリカでは1968年12月、日本では1969年4月(邦題:悲しき天使)にリリースされた。
 Epic BN26437 I love how you love me(1968-12)

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 Side A 1I love how you love me(こんなに愛しているのに)Barry Mann-Larry Kolber
2 If I didn't care(Jacl Lawrence)
3 Shangri-la(Matty Malneck-Rober Maxwell-Carl Sigman)
4 Those were the days(悲しき天使)Gene Raskin
5 It's no sin(愛の花園)George Hoven-Chester R. Shull
Side B 1 For once in my life(Ron Miller-Orlando Murden)
2 Halfway to paradise(虹のパラダイス)Carole King-Gerry Goffin
3 Why don't you believe me(何故信じてくれないの)Lew Douglas-King Laney-
Roy Rodde
4 Till(愛の誓い)Carl Sigman-Charles Danvers
5 Together(J. Gold)
6 Save the last dance for me(ラストダンスは私と)Doc Pomus-Mort Shuman

制作:Billy Sherrill
編曲:A-4, B-1, 4, 6 Bill McElhiney
B-5 Don Tweedy
録音; A-1 Aug. 29, 1968
A-2 3 July 10, 1968
A-5 May 10, 1968
B-2 May 8, 1968
B-3 July 11, 1968
B-5 May 27, 1968
B-6 Aug. 29, 1968
     録音地:Nashville
最高位:21位
    
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    大ヒットを記録したタイトル曲を受けてリリースされたこのアルバムでは
    これまでのように'40年代’50年代のヒットばかりでなく当時ヒットしていた
    "For once in my life"「悲しき天使」なども加えてロマンティックな面を強調した
    アルバム。日本ではシングルと同時発売のため「悲しき天使」と邦題を変え
    CBSソニーからの第1弾アルバムとしてリリースされた。
いくつか聴いてみよう。
   「悲しき天使」Mary Hopkinの大ヒット。ボビー盤もなかなかの出来。
    https://www.youtube.com/watch?v=FvoSMsyrr64

   「シャングリラ」はRobert Maxwellの演奏盤が1964年にヒットした。
    https://www.youtube.com/watch?v=SkpiAfHYPt8

   「フォーワンスインマイライフ」は当時Stevie Wonder盤が大ヒットした。
   ボビーの繊細な表現も見事。

   https://www.youtube.com/watch?v=XvCC27nIboo

   「何故信じてくれないの」は1952年Joni James盤がヒットしている。
   https://www.youtube.com/watch?v=lcCUCvfBgho
    
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   "Together"はあまり知られていない作品だがボビーはうまく表現している。
   https://www.youtube.com/watch?v=hTnG-C3Tmtw

   「愛の誓い」は1957年にTony Bennett盤がヒット、Roger Williamsのピアノ
   演奏盤も大ヒットした。ボビーの繊細な表現もここちよい。日本でも人気の
   高いバージョン。

   https://www.youtube.com/watch?v=BTeV3pImqhE

   「ラストダンスは私と」はDrifters,盤が1960年のヒットした作品。
    https://www.youtube.com/watch?v=z7b19-FZkkg

   こうしてボビーは1962年に歌手としてデビュー後、好調にヒットを
   連ね、若者のみならず大人からも好感をもたれ、人気を保ちながら
   歌のうまさもましていった。


    
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(21)砂遊びした頃/君を想いつめて

 1969年初頭は依然「こんなに愛しているのに」がチャートで上位を維持。ボビーはサハラ・ホテルを皮切りに
ラスベガスでの本格的な活動を開始します。 
 ビリー・シェリルが次に選んだシングルは、再びフィル・スペクターがらみの"To know you is to love you"でした。
1969年2月11日にBill McElhineyの編曲で録音し3月10日にリリースし最高位34位を記録しました。


https://www.youtube.com/watch?v=75JrYRArPXEJ45toknow.gif
この曲の邦題には「逢った途端に一目ぼれ」と「つのる想い」の2つがあり日本ではNancy Sinatra盤がよく知られている作品。
ボビーは後年になってもステージのヒット・メドレーには必ずこの曲を加えていました。

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 この曲を中心としたAlbum"Vinton"は5月に発売され最高位69位を記録した。

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日本ではこれまで未発売ですが収録された11曲は日本でもいろいろなアルバムですべて発売されています。
アメリカではCD化は見送られています。NashvilleのPhil SpectorともいわれたBilly Sherrillが音の壁をつくり
全体としてそれまでの明るいムードがなくなり少し暗いサウンドがマイナスに働いたようです。
このアルバムのB面のトップに収録されていた"Days of sand & shovels"(砂遊びした頃)はラジオ局での評判がよくシングル・カット
され5月26日にリリースされました。(録音は4月2日)

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最高位は34位でステージではめったに歌われなかったがこの時期の際立った作品。Doyle Marsh-George Reneauの曲で編曲はBill
McElhiney。

https://www.youtube.com/watch?v=eL2s8PjSrCU
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"No arms can ever hold you"(君を想いつめて)はArt Crafer-Jimmy Nebbの1955年の作品。当時Pat Boone盤がヒットし1965年
には英国のBachelors盤が再ヒット。ボビー盤は1969年4月2日に録音され1970年6月10日にリミックスしてシングル化され
ましたが最高位は93位。(ACチャートでは8位)編曲者のクレジットがなく、少し粗い編曲でボビーの歌唱力が十分にいかされて
おらず、結果は残せませんでした。

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https://www.youtube.com/watch?v=AW6X21aglXE
ビリー・シェリルはこの時期Epic専属のカントリー歌手のレコード制作を数多くてがけておりなかでもチャーリー・リッチ、タミー・
ワイネットに力を注いでおり、このアルバムでもボビーはタミーの"Stand by your man"をとりあげています。

https://www.youtube.com/watch?v=1Yc8BtOdekk
Burt Bacharachの"This guy's in love with you"やスタンダードの"When I fall in love""Try a little tenderness"などどれも
丁寧に歌っており、あと一歩でボビーの代表作にもなりえた作品ですが編曲や曲順などで地味な印象を持たれてしまって
いるのが残念です。
"It's a sin to tell a lie"(嘘は罪)はBilly Mayhew作のスタンダードですがミディアムテンポのボビーの快調なヴォーカルが
楽しめます。

https://www.youtube.com/watch?v=kW3asjI61Lk

7月4日"Ed Sullivan Show"に出演し、"Those were the days"(悲しき天使)とヒット・メドレー:Blue velvet/Halfway to paradise/Take good
care of my baby/Please love me forever"を披露しました

https://www.youtube.com/watch?v=hoCmX1ZPQBk
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今回は3枚のシングルを中心にお届けしましたが、B面にはいずれも自作曲を収録。中では"To know you..."のB面"Beat of my heart"
がひときわ輝きを放っています。

https://www.youtube.com/watch?v=FXAI4TVnDMc
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The Days of Sand and Shovels - Bobby Vinton

(22)雨にぬれても

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1969年の「砂遊びした頃」のあとボビーのシングルは発売されず、ファンは心配していた。Epic Recordsは12月にAlbum"Greatest hits
of love"をリリースした。"Greatest hits"(1964)"More of Bobby's greatest hits"(1966)に続くヒット曲の編集盤だが全曲ビリー・シェリル
の制作曲で編集されたため"Coming home soldier"(1966)などが収録されなかった。代わりに未発売の"For all we know"と"Wanted"をいれて
全11曲で構成されました。
”Wanted"はJack Fulton-Lois Steeleの作品で1954年にPerry Comoが大ヒットさせています。


https://www.youtube.com/watch?v=UVLcATdK2OI

アルバムにはこの時期のヒット曲のほかAlbum"Take good care of my baby"から"Sentimental me", "Vinton"からは"When I fall
in love"(恋に落ちた時)なども収録されています。

https://www.youtube.com/watch?v=qWZILOozR6k
「いつまでも愛して」から「砂遊びした頃」までこの時期のヒットは網羅されていますが、アメリカでもCD化は見送られています。
何故かデータ配信では「ハイレゾ」の高音質でも提供されています。アルバムは最高位139位を記録。


 ビリー・シェリルの下’70年代に向けて"Perfect woman"を9月26日に録音します。

https://www.youtube.com/watch?v=o7dLmWO3N7g
11月12日にはLittle Peggy Marchの"I will follow you"も録音。
https://www.youtube.com/watch?v=C017eGrN12s
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12月17日には"My elusive dreams"(二人の青い鳥)"Baby I'm yours"の2曲を録音し、いずれかをシングルとして新春早々に
リリースする検討を開始します。編曲は2曲共Bill Walkerです。
”Baby I'm yours"

https://www.youtube.com/watch?v=koHbvLdeeq8
"My elusive dreams"(二人の青い鳥)
https://www.youtube.com/watch?v=WPoeTgQ2Kb0
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この年には映画「明日に向かって撃て」の主題歌"Raindrops keep fallin' on my head"(雨にぬれても)のオッファーを受けたものの
1965年の映画「ハーロー」の主題歌"Lonely girl"の時に比べ金額が低かったため断っています。1978年の自伝"Polish prince"ではこの折の
判断についての後悔が記されています。のちにこの作品を録音はしています。
https://www.youtube.com/watch?v=SNIg2AJqSz8
Ray Stevensなどもオッファーを断り最終的にはB.J.Thomasが録音し全米第1位とアカデミー賞を獲得するなど超有名作品となっただけに
ボビーの決断は裏目にでてしまいました。
 
 ビリー・シェリルのもとではクリスマス・アルバムの制作はされませんでしたが1曲シングルが発売されています。
"Christmas eve in my hometown"はアメリカではボビーのクリスマス・ソングの定番となっていますが日本では
知られていません。エディ・フィッシャー、ケイト・スミスなども録音していますが、戦場の兵士たちが故郷に
想いをはせる内容の作品でボビーはBill McElhineyの編曲で優美な歌を聞かせています。Don Upton-Stanley Zabka
の作品。1970年の録音です。

https://www.youtube.com/watch?v=A-LcSycZMG8


(23)”Why don't they understand/I'll make you my baby"
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この写真は1965年頃のものですが、ローリング・ストーンズにマネジャーのアラン・クラインを紹介した
事から事務所が同じだったビートルズのジョン・レノンなどとも交流をもったと後年、ボビーは語っています。
1970年ごろにはクラインが多忙となり代わりにPete Bennettがボビーのマネージメントを担当していたようです。

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 本題に移ります。1970年の後半にはいると、これまで順調にヒットを重ねてきたボビーとビリー・シェリルでしたが、やや陰りが
見え始めます。
"Why don't they understand"はJack Fishman-Joe Hendersonの作品。1970年9月にリリースされ最高位は109位(Cash Boxでは90位にランク)
1958年George Hamilton IV世盤が1958年全米10位を記録しており、リヴァイヴァル・ヒットをねらったものの、スモール・ヒットに
とどまりました。

https://www.youtube.com/watch?v=Wy2rrQhIsKg

オリジナルのジョージ・ハミルトン盤

 https://www.youtube.com/watch?v=NupWx9VDlBI

 選曲は間違いとは言えないものの全体的に暗いムードでヴォーカルも少し精彩を欠いています。この曲の前には以前、
紹介した"No arms can ever hold you"(君を想いつめて)(1970年6月発売)がアルバム"Vinton"収録のバージョンをremixしてリリース
したもののチャートの下位に沈みやや沈滞ムードが続いていました。
"I've got that loving feelin' back again"は、そのB面の自作曲。編曲・制作はBilly Sherrill。自身のヒット曲の題名を歌詞に織り交ぜた作品で
ドイツで発売されたCD"Ultimate Epic singles hit collection"(2013)にも収録されています。

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https://www.youtube.com/watch?v=N3z2dqJKOGI
”Why don't they understand"のB面も自作曲。"Where is love"でMusical"Oliver"の挿入歌とは同名異曲。
https://www.youtube.com/watch?v=L-YGLZ5_eB0
佳作曲でCD”Roses are red"に収録されています。

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1970年にはもう一枚アルバム"Sounds of love"がリリースされています。
全曲、ボビーのサックス演奏でピアノはChuck Cockranで全10曲収録され、「雨にぬれても」「恋にさようなら」「コール・ミー」
「スイート・マリア」(シングル"Foe he's a jolly good fellow"のB面)の4曲は、これまでヴォーカルでされた録音のバックトラック
がそのまま使用されています。その他"Somewhere, my love""I will wait for you""Taste of honey""Michelle"など好選曲ですが、やはり
歌がないのは物足りません。"Heartaches""Now I know"などは、ヴォーカル入りでで録音してほしかった。
"Oh lonesome me"(Don Gibson)

https://www.youtube.com/watch?v=vD7TBGWfppM
"Now I know"(S. English-James Last-S. Gilber)
https://www.youtube.com/watch?v=o5a6f6C8vCQ&t=2s
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又、この年の暮、CBSの廉価盤レーベルHarmonyから"Vinton sings Vinton"という9曲入りの自作自演アルバムがリリースされています。
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 「ロンリー」「カミングホームソルジャー」のほかは大半がシングルのB面として発売されていた作品でソングライター
としてのボビーの才能をはかるには格好のLP.”Over & over"以外は全曲ステレオ録音で収録されており、その意味でも貴重。
"Beat of my heart""Kristie""Where is love"など佳曲がそろっています。
"Middle of the night"はシングル発売はなくアルバム"Vinton"に収録されていた作品。

https://www.youtube.com/watch?v=wrZ7imSWAFA

ボビーはこの年4月9日に"I'll make you my baby"(君を幸せに)を録音しましたが、何故か発売は翌年の3月まで延期されています。
最高位は101位で制作はビリー・シェリル。Barbara Lewisの1965年のヒット"Make me your baby"(Roger Atkins-Helen Miller)
と同じ曲で"Why don't they understand"より出来もよく、全盛期にリリースされていたら、もう少し上位にランクされていた
と思われます。翌年ボビーの下には映画の都ハリウッドから思わぬオファーが届きます。
"I'll make you my baby"
https://www.youtube.com/watch?v=Wy2rrQhIsKg
(24)Dukeとの出会い
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ボビーは1971年にはいるとまずTV show"Glen Campbell good time hour(Feb. 28, 1971)"にゲストで出演しPerry Comoの
"It's impossible"を歌いグレン・キャンベルとのduoでHit medley"Blue velvet, Roses are red, Blue on blue, Take good care
of my baby & Please love me forever”をうたった。映像は残っていないが、髪がかなり伸びておりイメージ・チェンジを
はかっているようにも見えた。

4月にはDon McLeanの作品で1973年にPerry Como盤でヒットすることになる"And I love you so"をComo盤と同じCam Mullinsの編曲で
Nashvilleで録音され、できも悪くないがBobby Goldsboro盤と競作となりGoldsboro盤が
ACチャートで8位までHot 100でも83位を記録し、結果的にチャート・インしなかった。制作はビリー・シェリル。後に1974年
のアルバム"With love"に収録された。

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https://www.youtube.com/watch?v=QCkCRgoM5OU

B面は自作の"She loves me"で何故か前作"I'll make you my baby"のB面もこの曲だった。ソフト・ロック調の作品。

https://www.youtube.com/watch?v=HH21P2bER-Q

のちにこの曲は2度録音しており、1971年にもJimmy Wisnerの制作・編曲でスローテンポで再録音。1975年にはABC
でも録音している。

"A little bit of you"は次のシングルでLarry Santos-R. Draphinの作品。制作はビリー・シェリル、編曲はバーゲン・ホワイト、
https://www.youtube.com/watch?v=XUafoRgf4nY
ややスランプ気味で、ヒットにはいたらなかった。
B面には"God bless America"(I. Berlin)で制作はボブ・モーガンでかなり以前の録音。



なかなかヒットを出せなかったボビーだがまだ「運」をもっていた。George Sherman監督の映画"Big Jake"(100万ドルの血斗)
では主演のジョン・ウェインの長男役を誰にあてるか検討していた。スタッフの一人がレコード・アルバムのジャケット写真
をみてこの人と思ったのが「ボビー・ヴィントン」だったのです。映画はモーリン・オハラ、ダニエル・ブーン、パトリック・
ウェイン、クリス・ミッチャムなどが出演した西部劇で盗賊に誘拐された孫を救出するウェインの活躍をえがいた作品だが、
ボビーは牧場を襲ってきた盗賊の一団と打ち合い、2階で撃ち落とされ、重体となりベッドに運ばれ前半の30分で出番がなくなって
しまうが、まずまずの演技で、次作への期待を抱かせた。

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映画は日本でも1971年に公開されTVで何度も放映されDVDでも発売されている。
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ほどなくBurt Kennedy監督でJohn Wayne主演映画”Train robbers"(大列車強盗)にボビーは出演がきまり約半年近くメキシコで
ロケに参加した。

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 共演はアン・マーグレット、ベン・ジョンソン、ロッド・テイラー、リカルド・モンタルバンなどでボビーの役はウェイン率いる
カウボーイのグループの一人。

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 結果的に、この映画はボビーの映画俳優として適正を見るための作品で、進行に従い徐々にセリフも出演シーンも減り、存在感の
感じられない役であった。ウェインは台本になかったボビーとの絡みのシーンを追加させるなどボビーを気にいったようであった。


https://www.youtube.com/watch?v=nWpDQ-HNevY
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 のちにボビーは自伝の中でウェインについて「スクリーンに登場するウェインがまさにウェインそのひとであり素朴で率直さ
を感じ、自分のステージでも、ありのままの自分を示すのが大切とわかった。」と述べている。ここでウェインと共演できた
事が後のボビーのステージに大きな影響を与えたことは間違いないといえるだろう。

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 映画は1973年に公開されたが、撮影は1971年末に終了していたようだ。日本でもやはり何度もTVで放映されDVDでもリリース
されている。

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この年、新作アルバムは制作されず、かろうじて2種の編集アルバムがリリースされた。
"To each his own"はCBSの廉価盤レーベル"Harmony"のHeadliner seriesの1枚として発売。

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"Tell me why""Blue on blue"以外の曲は"Georgy girl""Moon river""Sunrise sunset""Maybe you'll be there"などスタンダード曲中心の
構成で全10曲入り。
"Lonely street"はLP"Sings for lonely nights"(1965)に収録されていた作品。

https://www.youtube.com/watch?v=aL-AdPFpfmQ

もう一枚、2枚組の"Love album"は20曲入りで、やはり編集アルバムで「愛」をテーマにしている。自身のヒットは「ブルーファイア」
「ブルーハート」「いつまでも愛して」「君を想いつめて」の4曲にとどめ、残りはスタンダード作品。1971年5月にリリースされ
最高位はアルバムチャートで204位を記録した。ボビーにとっては初めての2枚組LPでもあった。

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"This is my song"(愛のセレナード)は映画「伯爵夫人」のテーマ曲でCharles Chaplinの作品。

https://www.youtube.com/watch?v=M5Ma5CdJo8s
これまで日本で未発売なのが信じられないほどの優雅なボビーのヴォーカルです。

この年撮影の合間に録音したシングルが12月13日にリリースされヒットの兆しをみせていました。

140bvph2.jpgTrain Robbers - John Wayne, Rod Taylor, Ann-Margret, Bobby Vinton, Christopher George, Rodney Turt Taylor, Ben Johnson, Jerry Gatlin, Ricardo Montalban, Burt Kennedy

(25)スランプ脱出
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 1971年の状況をみてボビーの歌手生命もここまでかと危惧したファンもかなりいたはずですが、1971年
6月18日HollywoodでJimmy Bowenの制作、Ernie Freemanの編曲で録音した"Ev'ry day of my life"(愛はいつまでも)は同年12月13日
にリリースされ、エピックは、ほとんどプロモートしなかったのものの放送局のDJたちが根強くオンエアーし99位に初登場すると
徐々にチャートを上昇しCash Boxでは18位、Billboardでも24位を記録するヒットとなった。曲はAl Jacobs-Jimmy Craneの作品で
このコンビはTimi Yuroの"Hurt", Doris Dayの"If I give my heart to you"(わが心を君に)などを書いており1956年にはMcGuire
Sisters盤が全米37位を記録しておりリヴァイヴァル・ヒットになる。「夜のストレンジャー」「誰かが誰かを恋してる」
などを手掛けた、Jimmy Bowen, Ernie Freemanのコンビがボビーのレコード制作をしたのはこの1枚のシングルのみで、新曲とは
思えないこのメロディーをチャートに送り込んだのは英詩の良さとボビーの歌唱力、編曲にあるといっていいだろう。
「人生の毎日、君との愛にいきる。真実であることを約束する。君を泣かせたりはしない。いつも君を喜ばせることを考えている」
といった内容の愛の歌でアメリカでは結婚式で歌われることが多くなったという。
Easy Listening Chart(後のAdult Contemporary Chart)では2位が最高位。1位はRoberta Flackの"First time ever I saw your face"(愛は面影の
中に)で1969年の"I love how you love me"(こんなに愛しているのに)も2位どまり、1位はGlen Campbellの"Wichita Lineman"だった。

 https://www.youtube.com/watch?v=Pu-Bdox91Dc
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日本では当初、発売の予定はなくアルバムのみ1972年7月にリリースを予定していたが、次作を優先してリリースし発売は11月に
延期された。アメリカでは4月に同名のアルバムがリリースされたが、制作者にはJimmy Bowen, Snuff Garrett, Billy Sherrill,
Jimmy Wisnerなど4人がクレジットされ、総合制作者のクレジットはない。おそらくエピックの担当者による編集と思われる。
Jimmy Wisnerの制作曲が5曲あり、倉庫にはまだ、この制作者による録音が多数残されていると思われる。
NashvilleからLos Angelesに住居を移し、録音の拠点もLA中心となったボビー、ビリー・シェリル制作の3作品以外は、LA録音。


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 ”Just a little lovin'"はBarry Mann-Cynthia Weilの作品。Barbra Streisand, Carmen McCrae, Dusty Springfieldなど女性歌手の
録音が多いがボビーも落ち着いたヴォーカルを聞かせる。Jimmy Wisnerの制作及び編曲。


https://www.youtube.com/watch?v=oMwxQEFrw88

"And I love you so"(Don McLean)は2度目の録音。今回はスローテンポで録音している。資料では1971年1月23日の録音となって
いるが、この日付はBilly Sherrill制作の前回紹介してテイクではないかと思われる。

https://www.youtube.com/watch?v=U0HlR3wCwuY

"I'm coming home girl"(君への家路)はSnuff Garrettの制作、編曲はAl CappsでLinda Laurieの作品。


https://www.youtube.com/watch?v=u1ksKMBNHcU

"I won't cry anymore"はAl Frisch-Fred Wiseの作品。Tony Bennettが1951年に録音しています。制作はビリー・シェリル,
編曲はBill Pursell.

https://www.youtube.com/watch?v=Q9c1O5SLwII

”Misty blue"はBobby Montgomeryの作品。1967年Eddy Arnold盤がヒットを記録し1976年にはDorothy Moore盤が全米3位
にランクされた作品。ビリー・シェリルの制作で録音しボビーはシングル発売を希望したが会社側は見送り、実現せず。
編曲はCliff Parman.


https://www.youtube.com/watch?v=hUWK75AaZ38
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”You can do it to me anytime"はRicky Nelsonに数多くの作品を提供したBaker Knightの作品。シングル”Ev'ry day of my life"のB面
としてもリリースされ編曲はLarry Muhoberac.

https://www.youtube.com/watch?v=s9Tr8He0fg4
”Whose garden was this"はTom Paxtonの作品。Jimmy Wisnerの制作及び編曲でブラスを効果的に使用したエンディングが
印象的な作品。

https://www.youtube.com/watch?v=ABdp1sQ7iMs
 自作曲は前回紹介した"She loves me"が収録されている。
 アルバムはラブ・バラードとソフト・ロック調の作品を交互に配し、構成は練られている。シンガー・ソングライターの作品を
数多く収録しているのも特徴だが、会社側がボビーを’70年代にどうやって生き残させようとしているのかを探っても
この作品からは見えてはこない。チャートでの最高位は72位だったが、3年位、カタログに残った。
 エピックはこの時期、カントリーのCharlie Rich, Tammy Wynette, "Everyday people"などで人気のSly & the Family Stoneに力を
いれ、ボビーへのプロモートは'60年代のそれと比べると、大きな期待をしていたとは思えなかった。Music Sceneではシンガー・ソング
ライター、女性シンガー、ニューロック、フィラデルフィア・サウンドなどが主力となりつつありボビーには逆風の中の新たな船出で
もあった。


 そんな状況の中、ボビーの次の選択はロマンティックなバラードの選択だった。

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(26)涙のくちづけ
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1972年ボビーが次に選んだシングルは"Sealed with a kiss"(涙のくちづけ)だった。ボビーは1962年に一度、この曲のオッファー
をうけていたが、「涙の紅バラ」の次のシングル"Rain rain go awa"(涙の太陽)をすでに録音していたためBrian Hylandに譲った。
10年経過してボビーは自身の制作で1972年3月16日Hollywoodで編曲者にAl Cappsを起用して録音した。

https://www.youtube.com/watch?v=UOnz2wIcOO4

 シングルは5月10日にリリースされ、Billboardで19位 ACチャート2位 Cash Boxで14位を記録した。その他カナダでは2週間第1位
を記録するなど欧州、オーストラリアなどでも大ヒットし世界的なヒットとなった。日本でもオリコンチャートで47位を記録したが
Lettermen盤が1969年オリコンで最高位9位にランクされていたことが、やや伸び悩んだ原因と考察できる。アメリカでは
レターメン盤は「夏の日の恋」(1965)のB面でチャートでのヒットの記録はない。
 米ではBrian HylandのあとGary Lewis盤が1968年全米19位を記録したほかToys, Happenings盤なども話題になっていた
Peter Udell-Gary Geldの作品。英国では1989年Jason Donovan盤が全英第1位を記録している。

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ヒットを確信したボビーは4月からアルバムの制作にはいった。制作はボビー自身。編曲はAl Capps, 録音技師はPhil Macyが担当し
全曲Hollywoodで録音された。1960年代のオールディーズと1972年当時のスタンダートという構成で選曲がなされた。

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"Come softly to me"(Gary Troxel-Gretchen Christopher-Barbara Ellis)はFleetwodsの1959年のNo.1ソング。
https://www.youtube.com/watch?v=7tcUmT0OmOM

"Some kind of wonderful"(Carole King-Gerry Goffin)1961年Drifters盤が全米31位を記録しています。

https://www.youtube.com/watch?v=Sv5EQjkb8bg

"Greenfields"(Terry Gilkyson-Richard Dehr-Frank Miller)Brothers Fourの1960年のヒットで全米2位を記録。

https://www.youtube.com/watch?v=VCX3GK4_kTM

"Somebody's breaking my heart"(T. Harris)は、詳細は不明ですがLPではA面の最後に収録された繊細な感覚の作品。

https://www.youtube.com/watch?v=olkfg-sbMCE

この他、"End of the world""Our day will come""I'm leaving it up to you"がB面に収録されているが
"End of the world"は1967年にもRobert Merseyの編曲で録音しており、2度目の録音。オランダでは「涙のくちづけ」についで
シングル・カットされたがヒットはしなかった。この曲に関しては1967年の録音の方が出来がいいと思います。
"Our day will come"はボサノヴァ調の編曲で彼なりに歌いこなしている。最後の"I'm leaving.."(さよならデイト)はDale & Grace
盤が全米第1位を記録した作品。やや単調な仕上がりで、ラストは"Greenfields"のほうがよかったように感じています。

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1972年当時の作品ではA面2曲目の”First time ever I saw your face"(愛は面影の中に)はRobert Flack盤が1972年全米第1位を記録していますが、ここではアップテンポの編曲で明るく歌っています。
https://www.youtube.com/watch?v=dBIvKpC1EII

”Speak softly love"(ゴッドファーザー愛のテーマ)の映画「ゴッドファーザー」の主題歌。Andy Williams盤がヒットしましたが
ボビーはAndy盤と同じAl Cappsの編曲で自身の個性で歌いこなしています。

https://www.youtube.com/watch?v=u5GPmu9vd3M

"Song sung blue"はNeil Diamindの自作自唱盤が1972年第1位を記録。ボビーも作者とは異なった魅力をこの作品から
引き出しています。

https://www.youtube.com/watch?v=xr2aRXfucfE
アルバムは最高位77位にとどまり前作"Ev'ry day of my life"の72位を下回りました。ただ1969年頃からやや暗いスタジオ録音が続いて
いた点を改善し、明るいサウンドでファンを魅了し、Las Vegas進出の拠点にLAを選び、再スタートを切ったことは十分評価できますし
「涙のくちづけ」は順位以上にダウンロードの時代に入っても人気を高めボビーの’70年代の代表作として以降、親しまれていきます。

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日本ではアメリカより2ヶ月遅れて9月に日本では初めて「見開きジャケット」で発売されたもののベストセラーには、
ならなかった。
11月には前作「愛はいつまでも」"Ev'ry day of my life"がシングル、LPが同時発売。アルバムはやはり見開きジャケットとかなり日本
では力をいれてリリースされた。世界ではポピュラー・ヴォーカリストとしてボビーに大きな期待がかかりましたが、本国では別の動き
が起こりつつありました。
(27)そよ風の恋/心の痛み
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1972年Epic Recordsはアルバム"All time greatest hits"を11月にリリースした。当初、この2枚組LPはアルバム"Ev'ry day of my life"
についでリリースする予定であったが、「涙のくちづけ」がヒットしたため、発売を遅らせたためレコード番号がAlbum
”Sealed with a kiss"より若くなっており、1962年から1972年のヒットから20曲編集して発売され「涙のくちづけ」は収録
されていない。最高位は119位でCBSはこの時期、同趣旨のアルバムをTony Bennett, Johnny Mathis, Percy Faithなどでも
発売しカントリーのMarty Robbins, Ray Priceなども加わっていた。ボビーのアルバムは当初、そのまま日本でも2枚組で発売の
予定でしたが、日本でヒットした「涙のサテン・ピロウ」などが収録されていないため1960年代に録音してチャート・イン
した13曲にしぼり「青春の想い出 ボビー・ヴィントン・グレイテスト・ヒット」と題され1973年の2月に発売された。

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アメリカ盤の20曲もボビーの大ヒットを十分にカバーしておらず、2003年には編集盤を中心にリリースしているVarese Sarabandeが
Epicの音源を使い、25曲入りのべスト盤CDを発売した。

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ボビーは1972年11月7日"Mike Douglas Show"にゲスト出演し”Ev'ry day of my life"を披露した。もう一曲は「ミスター・ロンリー」
でした。

https://www.youtube.com/watch?v=VtysRVgDjT8

同年11月24日には"Sonny & Cher comedy hour"にゲスト出演しコメディそして"Sealed with A kiss"(涙のくちづけ)
をあらかじめ録音されたバックトラックから間奏部を略して歌った。このソニーとシェールのヴァラエティ・ショウの制作
はのちにBobby Vinton showを手掛けるAllan Byke and Chris Beardのコンビが担当していた。

https://www.youtube.com/watch?v=uhy_F6yEye4

 「涙のくちづけ」に次ぐシングルは11月に録音され12月にはリリースされた"But I do"(そよ風の恋)だったが
最高位は82位(Billboard)71位(Cash Box)と振るわなかった。1961年Clarence Henry盤が全米4位を記録しており
リヴァイヴァルを狙ったものだったが制作はボビー自身、編曲者のクレジットがなく、明るいサウンドで日本でもリリースされたが、
唱法に異を唱える意見もあった。
主要国でも目立ったヒットとはならず、わずかにAustraliaでチャートの上位を記録した程度だった。

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https://www.youtube.com/watch?v=g-OqvKQrs98
B面の"When you love"(愛する時)は同日の録音と推測されるが、自作曲で若い頃にはなかった男性的な魅力も発揮しており、一聴に
値する作品。

https://www.youtube.com/watch?v=E0HrmBj85zM
ボビーはアルバムのリリースを見込んでオールディーズ・ナンバーをいくつか録音したが、アルバムの発売は見送られた。
翌年の5月、Hurt(心の痛み)をリリース。"Ev'ry day of my life"と同じAl Jacobs-Jimmy Craneの作品で1961年のTimmi Yuroの全米4位
の大ヒットでリヴァイヴァル・ヒットを狙ったが最高位は106位どまり。制作はボビー自身、編曲はAl Cappsとかなり力をいれて
録音したが、痛手となってしまった。

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https://www.youtube.com/watch?v=jqmYA9LF2_s&t=101s
欧州のベルギー、オランダではCarpenters, Andy WilliamsなどMOR系のアーティストの評価が高く、ボビーも例外ではなく
"Hurt"はベルギーではチャートの第1位を記録、オランダでも大ヒットし、この曲を中心としたベストアルバムが発売
されたほど。アメリカではアルバムに収録されたことのない「そよ風の恋」も収録されています。

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 シングルのB面は1962年に全米38位を記録した自作曲”I love you the way you are"の再録音。Al Cappsの編曲で、
深みを増したボビーの表現に魅了されます。

https://www.youtube.com/watch?v=nOVumuFsXYI

1973年にはいり、ボビーの契約はこの年まで、「新しいことをやりたい」というボビーと「これまでのような活躍は期待できない。」
とする会社側との対立は深刻で、ボビーの選択肢は限られていました。

今回はこの時期のボビーの住居を紹介しておきましょう。Los AngelesのBeverly Hillsの邸宅です。

https://www.youtube.com/watch?v=XkU9I4RpPuU
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(28)奇跡的な復活/愛のメロディー




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 Epic Recordsを退社し、失意のボビーでしたがヒット曲が必要と感じていました。母親からの「ポーランド系アメリカ人のための曲を書きなさい。」というアドバイスを受けラスベガスで聞いた"Herzen haben keine Fenster ("Hearts have no windows") by Elfi Graf"という東ドイツの作品でドイツとオーストリアでヒットした作品を思い出したのです。
https://www.youtube.com/watch?v=NdCsD_LDOks

ボビーはこの作品に英語と一部ポーランドの歌詞をつけ"My melody of love"(愛のメロディー)として完成させました。
英国では一足先にPeters & Leeという男女のduoが"Don't stay away too long"(一人にしないで)というタイトルで大ヒット
していたが、アメリカではマイナー・ヒットどまりでした。

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Peters & Lee "Don't stay away too long"
https://www.youtube.com/watch?v=v6S0DWzds0w

レコードは自費制作で、ボビーはデモ・テープを大手レコード会社7社に送付するも回答はなかった。古巣Epicにも送られ
問い合わせにも「Polish jokeか?」と相手にされず、困り果てて居たボビーにエージェントのアル・ガリコは「ABC Recordsへ」
と提案し、会社の社長、Jay Laskerと面会したボビーはその場で社長から「ゴールド・ディスクを目指す。」という返答をえて
1974年8月ABC Recordsと契約が成立した。
「愛のメロディー」の正式なレコーディングは1974年8月。制作にBob Morgan, 編曲にAl Cappsを迎え同年夏A&Mスタジオ
でおこなわれた。

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https://www.youtube.com/watch?v=J8o7HIEI27Q&t=16s
 B面には自作の"I'll be loving you"を録音。
https://www.youtube.com/watch?v=xWXX_rEIs0Y
同時に予備に"Dick & Jane"も録音。編曲はAl Capps
https://www.youtube.com/watch?v=Mt-99Qu-tXc
シングルは8月末にリリースされ数週間動きがなく心配されましたが、詩にポーランド語使ったことが結果的に評価され
その後、順調にチャートを上昇し11月末には全米3位(Record Worldでは全米1位)まで上昇し
ゴールドディスクを獲得した。歌詞にポーランドを使用してこともありポーランド系アメリカ人からの支持をうけ
新しいファン層も獲得。以降"Polish prince"と呼ばれるようになり、この作品はポーランド系アメリカ人のテーマ曲
となった。11月に発売されたアルバムは最高位16位を記録。これもゴールド・ディスクを獲得した。

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アルバムには"I honestly love you"(愛の告白)Olivia Newton-Johnのヒット曲。編曲はAl Capps

https://www.youtube.com/watch?v=XIy1OBsEDn4

"Never ending song of love"(愛の歌は永遠に)New Seekersのヒット曲。編曲はJoe Reisman


https://www.youtube.com/watch?v=xy5Nnb71Eyg

”Most beautiful girl”(朝焼けの少女)Charlie Richのヒット曲。

https://www.youtube.com/watch?v=UiXbFy5fCrA

"My gypsy love"は自作曲。編曲はAl Capps。

https://www.youtube.com/watch?v=4oi_Fga1sUQ

 この他Al Martinoの"Here in my heart",アカデミー主題歌賞受賞曲"You'll never know",
映画「ペイパーチェイス」テーマ曲"I want to spend my life with you"など全11曲が収録されています。
ボビーは丁寧な歌唱を聞かせますが、Epic在籍時と比較するとポルカ、ポーランドに対する意識が感じられます。

古巣Epicもこの機にAlbum"With love"をリリースし最高位109位を記録します。

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「涙のくちづけ」「君待つ心」が疑似ステレオで収録されているのが不可思議ですし何故か"But I do"(そよ風の恋)
が未収録でB面の"When you love"(愛する時)が入っています。
貴重なのは"Seasons in the sun"(そよ風のバラード)で制作がJimmy Wisnerとなっており録音は1971年ごろと推測
されますが、Terry Jacks盤は1974年にヒットしていますので、それ以前に録音されていた可能性が高く謎が残ります。

https://www.youtube.com/watch?v=JsFbK0cKrMs
どちらかと言うと寄せ集めのような内容ですが、"Hurt""I love you the ay you are"などはじめてアルバムに収録
されています。
 CBSの通信販売部門であるColumbia Houseからは1973-74年にかけて次の3種のアルバムがリリースされています。

 Bobby Vinton Treasury 6枚組(Epic音源)
 Many moods of Bobby V of Bobby Vinton: Colorful & lonely(2LP set)
Many moods of Bobby Vinton: In love

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12月9日には永年の念願がかないNew YorkのCarnegie Hallに出演し、コンサートは満席、ショウも上々の内容で翌朝の新聞
でも賛辞の記事が掲載された。


New York, Times Squareの電光掲示板には"Polish power"と表示され、社会的にも"Polish pride"という言葉が認知されるほどの
全米でのブームのような現象の中、ボビーは1年前とは正反対の追い風をうけて新しい年に臨むことになったのです。

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 ラスベガスでは契約していたFlamingo Hotelとの契約が延長されず心配されましたが、Riviera Hotelとの契約が成立し
エンターテイナーとして大人向きの歌手としての活動がはじまります。



(29)ビア樽ポルカ/ディック・アンド・ジェーン

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 1974年から1975年にかけては’50年代、’60年代に活躍したアーティスト、Paul Anka, Neil Sadaka, Frankie Valliなども
ヒットチャートのTop10にはいる大ヒットを放つという現象もあったなかでボビーの所属したABC Recordsでも5th Dimention,
Blood Sweat & Tearsなどとも契約しABC/DotではFreddy Fender, B.J.Thomasと契約し、それぞれ「涙のしずく」「心に響く
愛の歌」は全米第1位を記録した。
Cash Box誌の表紙にはボビーが一面に使用された。大ヒットとなった"My melody of love"のおかげである。

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1975年1月からボビーは全米ツアーを敢行し大きな人気をつかんでいた。

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取り分けポーランド系アメリカ人が多く居住するシカゴではリチャード・デイリー市長が1975年1月18日を"Bobby Vinton Day"と定め
Chicago Auditoriumでのコンサートには市長も招かれ2万人近くの観客を動員した。

ボビーの「愛のメロディ」は日本では今一つ伸びず、アルバムは1975年の2月に東芝から
発売されたものの売れ行きは好調とはいえなかった。
 アメリカでは1975年3月第2弾"Dick & Jane"がリリースされたが放送局のDJはB面の「ビア樽ポルカ」をかけたため
途中からA,B面が変更されBIllboardでは両面ヒットで全米33位を記録した。

https://www.youtube.com/watch?v=rIV9vpLRG5g

Cash Boxでは「ビア樽...」45位 「ディック」87位となったが「ビア樽..」はボビーの最後のTop40ヒットとなった。
子供と歌った「ディック.」は韓国ではTVドラマに使用され大ヒットを記録した。

https://www.youtube.com/watch?v=ffda9iy5J3o

6月にはElvis Presleyが映画「G.I.ブルース」で紹介した"Wooden heart"をリリース。後半のドイツ語をポーランド語
に変え手拍子、歓声などライヴ効果を加えたものの最高位は58位。

https://www.youtube.com/watch?v=iuc3zB8PpKA

B面には自作の"Polka pose"がカップリングされた。

https://www.youtube.com/watch?v=8FuAgmMSsNo

同時にアルバム用の作品の録音にもはいった。
”You’ve got your mamas eyes"(Flax-Lambert)はなかなか魅力的な作品。

https://www.youtube.com/watch?v=Y7_sZrDo3zs

"Lovely lady"(Riccardi-Shannon)は1973年のサンレモ音楽祭"Vado via"(去り行く君)が原曲。アメリカではPercy Faithなどが
録音しているが、英詩では知る限りこのボビー盤が存在するのみ。

https://www.youtube.com/watch?v=zVOg_ArpNgU

”I won’t give up"
 ”Baldan Bambo-Piccoliの"Inno"(二人の讃美歌)
 が原曲。Mia Martini盤がイタリアで大ヒット。ボビーはAltmanの英詩
 で歌いシングル化も検討された。

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https://www.youtube.com/watch?v=XCVtE9_GFtU

”Charlie”(Burt Bacharach-Bobby Russel)Burt Bacharachの作品。

https://www.youtube.com/watch?v=E7tNSOOyUVc

"Adios amigo"(Girado-Bobby Vinton)はスペインのヒット曲にボビーが英詩を付け1977年Marty Robbinsが録音。
カントリーチャートで第4位まで上昇した。制作はBilly Sherrill.

https://www.youtube.com/watch?v=y1G9vKMYV0w
この他「愛のフィーリング」"Feelings"なども収録され制作はBob Morganが担当しました。

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こうしてアルバムは"Heart of hearts"と題され1975年7月にリリースされますが、最高位は108位止まり。
日本では10月に発売の予定で見本盤は放送局などに配布されましたが、東芝とABCの契約が更新されず、あらたに
日本コロムビアが日本での発売先になり、発売は1976年の1月に延期となりますが、ライナーノートはそのまま
引き継がれ、日本盤の曲目解説が十分でなく、購入したファンにはアルバムの実像が十分に理解されずに終わって
しまったのは残念でなりません。

 古巣Epicはこの機とばかりに6月に編集盤2枚組"Bobby Vinton sings the golden decade of love"をリリース、最高位154位を記録する。
1963年にリリースされコレクターズ・アイテムになっていた"Greatest hits of the golden groups"の12曲に「愛の誓い」「ミスター・
ブルー」などを加え全19曲収録されている。

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マニアには初登場の"Just a dream"が収録されているだけでも見逃せないだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=Ltc5Rs2CfKk

Las VegasではMGM Grand Hotelのショウルームを満席にしたボビーのショウを観察するカナダの放送作家の鋭いまなざしがあった。


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(31)TVの世界へ/ステージの成功

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本題の前に、最近アップロードされた映像を紹介します。1970年3月8日の"Ed Sullivan Show"からでアルバム「二人の青い鳥」
に収録されている"Baby take me in your arms"(夢のくちづけ)を歌っています

 https://www.youtube.com/watch?v=odNStdmFGZs

Las Vegasでボビーのショウを観察していたのはカナダのTV producerのChris Beardだった。カナダで1975年の秋から放映予定の
Variety Showのホスト役を探すためであった。ボビーの他にも数人が候補にあがり、’70年代にも「涙のくちづけ」「愛のメロディー」
の2曲がカナダでNo.1を記録するなど高い人気がありテンポのよいボビーのステージ、同時期にTVでボビーのベスト・アルバムが
宣伝され好セールスを示していたことなどが要因となりボビーがホストに選定され9月から"Bobby Vinton Show"がシンジケート方式
で放映されることになった。
Executive ProducersにAlan Byle & Chris Beardがついたが、この二人は過去に"Elvis comeback special"の他"Andy Williams Show"(1969-1971)
”Sonny & Cher comedy hour"(1971-77)などを制作し、どちらかというとコメディーを中心に番組を構成しボビーとゲストの歌をはさむ
構成。音楽監督はJimmy Dale Orchestraを担当しコンサルタントとしてBob Morganも参加している。
ボビーは月に1度トロントを訪ね1ヶ月分を収録しスタッフが編集して放送された。

 記念すべき第1回のオープニングのシーン。

https://www.youtube.com/watch?v=4RLThs8ZEPQ&t=6s

御覧のようにオープニング(この日は"When will I be loved"「いつになったら愛されるのかしら」)のあとPolka Ladyと踊りながら
ゲストが登場する。ゲストは歌手ばかりでなくコメディアン、ボビーの恩人などさまざまで1~3人ほどが出演する。レギュラーの
コメディアンは3名いて時にはボビーやゲストがコメディーにも加わる。
 Loretta Switとのコメディーシーン。

https://www.youtube.com/watch?v=D1qS6GXSvEo
ここに登場した2人のゲスト、Ted Knight, Loretta Switは過去に"Merv Griffin show"で共演してこともあり旧知の仲です。
他にAnne Murray, Melba Mooreほかカントリー系の女性歌手が1年目に登場しています。
自身のヒット曲・スタンダード・ナンバーを歌うコーナーもあります。ここでは"Please love me forever"「いつまでも愛して」
が歌われます。

https://www.youtube.com/watch?v=v4v4wU_bPC4

 クロージングではゲストと"My melody of love"「愛のメロディー」を歌い、エンド・クレジットが流れるのが
1年目"First Season"でした。30分番組としては上々のスタートで高い視聴率をマークしたようです。

https://www.youtube.com/watch?v=deTJj9bdj_w

こうして1年目は計26エピソードが制作。1年52週とすると残りは再放送がされたようです

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1975年12月にはアメリカでアルバム"The Bobby Vinton Show"が発売され最高位161位を記録します。TVのサウンドトラック
ではなくTVで好評だった作品をスタジオで新たに録音しなおして「追憶」「やさしく歌って」「アンド・アイ・ラヴ・ユー・ソー」
「ある愛の詩」など好選曲ですが自身のヒット曲は収録されていません。日本ではこの時点ではTVショウの放映もなく発売は延期されました。
また従来のアルバムと異なりライブに近い雰囲気を与えるような効果を使い録音されています。
このアルバムから"Runaway"「悲しき街角」

https://www.youtube.com/watch?v=wV5fTd-Y4TI

"Way we were"「追憶」

https://www.youtube.com/watch?v=eIKstlyUSX4
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TVショウのスタートに合わせるようにシングル"Midnight show"がリリースされます。Cash Boxでは78位を記録しますが
BillboardではACチャートで23位までの上昇にとどまります。Ron Danteの作品で作者自身も録音しています

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https://www.youtube.com/watch?v=dine9XxpqDY
Las VegasではMGM Grand Hotelでのショウが好評で特に"Feelings"「愛のフィーリング」がスタジオ録音を上回る感情表現で
観客の心をつかみました。

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ヒット曲がなくても観客を満足させるショウを提供できたボビーでしたが「いい曲をヒットさせたい。」という気持ちは持ち続けていたようです。

(32)ムーンライト・セレナーデ/パロマ・ブランカ
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最初に最近アップロードされた映像を紹介します。(Ed Sullivan Show)
1969年7月6日の映像で以前NHK-BSで放映されたこともありますが、映像がクリアになっています。
「悲しき天使」はスタジオ録音ではスローテンポで録音していますがここでは一転してバンドをバックに
スイング調で聞かせます。

https://www.youtube.com/watch?v=spK7yI0E0Do
 
 次は1970年9月27日の映像で初公開です。Karen Wymanとのduoで"For me & my gal"を歌いますが、この日は主に
二人を中心にショウが構成されており以降の追加映像を期待しましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=6hTreZgIp9Q

 次は1965年3月28日の映像で"Long lonely nights"を歌っています。当初、NHKで放送予定でしたが直前に編集で
カットされ放映されたのは民間のBS放送でした。出来はスタジオ録音のほうがよいような気もしますが
この映像もカットするような映像ではないと思います。


https://www.youtube.com/watch?v=1D0xyFiPj5A

さて本題に入ります。1976年TVショウは好評でラスヴェガスでのステージでもエンターテイナーとしての地位を
確立し"Prince of entertainment"とか"Total entertainer"と呼ばれるようになりました。しかし不満もありました。
「愛のメロディー」の大ヒットのあと、なかなかビッグ・ヒットをだせなかったことです。
4月には"Moonlight serenade"をリリースしますが最高位は97位、ACチャートで15位という成績でした。
編曲はJoe Reisman, StringsはH.B.Barunamが担当したディスコ調のここちよいサウンドで、ボビーのヴォーカル
も好調でしたが、プロモートが今一歩であったことも事実です。

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https://www.youtube.com/watch?v=ehzyC48MxqI
5月には"Save your kisses for me"(想い出のラスト・キッス)をリリースします。イギリスのBrotherhood of man盤が全米27位、
全英第1位さらに同年のEurovision Song contestの優勝曲ともなった作品です。ボビーはAl Cappsの編曲で録音し発売当初の出足は好調でしたが
やはりプロモートが弱く76位どまりに終わります。
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https://www.youtube.com/watch?v=ppMJfU1pJp8

 この時期にはアルバムの制作にはいっており、やはりAl Cappsの編曲でオランダのGeorge Baker Selectionのヒット
 "Paloma blanca"も録音した。ボビーはこの作品がよほど気に入ったようで21世紀にはいってもこの曲を必ずステージでとりあげた。
 日本では朝の情報番組にボビーのバージョンが使用され日本独自にシングルが8月に発売されロング・ヒットを記録した。
 ただしオリコンのチャートでは101位から200位内、洋楽チャートでも20位台にとどまった。
 この曲は日本では競作となりジョナサン・キング、ポール・モーリア盤などもリリースされましたが、TVで放送されたのが
 影響しボビー盤が一歩リードした。

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https://www.youtube.com/watch?v=3F346_y3M34

 当時の日本コロンビアは「パロマ・ブランカ」にこだわりすぎで「想い出のラスト・キッス」もリリースしてほしかった。
 映画"Duchess & dirtwater fox"邦題「 イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師 」(1976)の主題歌"Lemondrops, lollipops an sunbeams"も
サウンド・トラック用に録音したが日本では映画が劇場未公開でシングルは発売されず英国でのみ発売された。

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https://www.youtube.com/watch?v=6fqW4QSth3k
 アルバムにはこの他、当時のヒット曲を追いかけるのではなく独自の選曲でいい作品が選ばれている。
"Waltz medley: Tales from Vienna woods/Blue skirt waltz/You are my one true love"

https://www.youtube.com/watch?v=wq0Ox8_Cpuk
"I cross my fingers"(Walter Kent-William Farrer)日本盤の解説には作者がウェス・ファレルと書かれていますが、これは間違い
1950年にBing Crosby, Perry Como, Percy Faith盤がヒットしている。アルバム「愛のメロディー」に収録の"Here in my heart"
と似たような曲調で編曲も同じErnie Freemanが担当。

https://www.youtube.com/watch?v=-3tB1XFf7XM

”Jenny”(E. Shuman-P. Morelli)「心のジェニー」では落ち着いたヴォーカルでこの時期のボビーの好調さがでている。

https://www.youtube.com/watch?v=OdXinsIDOjY

アルバムは"Serenades of love"(愛のセレナーデ)と題され1976年の夏にアメリカで発売され日本では10月にリリースされた。
「パロマ・ブランカ」が収録されており日本ではかなりプロモートされたが、本国では今一歩、宣伝がきかずチャートに
はいらずに終わったのが不思議なくらい内容的には充実しており、もっと評価されていいアルバムです。

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”Another without you day”(Cook-Greenaway-Jameson-Doctors)はイギリスの作品でJoe Reismanの好編曲をバックに
充実したヴォーカルを聞かせます。

https://www.youtube.com/watch?v=PqS_TNrSEJc
この時期安定したレコードセールスを保っていたMOR男性歌手はJohnny MathisくらいでAndy WilliamsはTVショウも終了し
1976年にはリリースしたアルバムはチャートインしていません。
CapitolのAl Martino, CBSのJerry Valeなどそろって契約が更新されず苦労していました。Tony Bennettは1972年にCBSを離れ
MGMに移籍してその後自身のレーベルを立ち上げていました。Neil Diamond, Barry Manilow, Glen Campbellなどが活躍し
シンガーソングライター、Olivia Newton John, Anne Murrayなどの女性歌手が好調でした。


 ボビーのTVショウは9月に2期目(Second Season)にはいりアメリカの放送権利を持っていたCBSが少しフォーマットを
変更したようです。詳細は次回に述べます。

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 「悲しき街角」”Runaway”はTVショウの映像です。前回のスタジオ録音と比較してみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=1E6M8tzNbOU
この年ボビーはアルバムについてのプランをもっておりABCではなくTVショウを制作していたカナダのレコード会社と交渉
をすすめていました。

(33)プラチナ・ディスク獲得
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 ボビーは以前からポルカを中心にしたアルバムの制作を希望していた。ABC Recordsでは無理と判断し、カナダの通信販売中心
のレコード会社Ahed Musicに接触し1976年になんとか発売にこぎつけた。この会社はMOR系のアーティスト、Carpenters, Jim Croce
Patti Page, Charlie Rich, Don Hoなどの編集盤や再録音盤などをリリースしていた。
ジャケットの裏にはABCからリリースされたアルバム4枚の写真が載せられ、このアルバムのリリースにABCから了解をえたもの
であると理解できる

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 アルバムには「愛のメロディー」「パロマ・ブランカ」などABC音源も収録されているが大半は新録音でボビーは好調な
ヴォーカルを聞かせる。
"Ob-la-di, Ob-la-da"はBeatles作品。

https://www.youtube.com/watch?v=OeuVBpxGL8c

”That’s amore"はDean Martinのレパートリーとしてお馴染みの作品。1953年に大ヒットしゴールド・ディスクを獲得。

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https://www.youtube.com/watch?v=yBOYr_0qrjQ&t=28s

"Hoop-Dee-Doo"はPerry Comoの1950年の大ヒット。

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https://www.youtube.com/watch?v=Kh5nGyc2Wkk

"Pennsylvania polka"は1942年のAndrews Sistersのヒット。
https://www.youtube.com/watch?v=1ngT76pAbco

”Strip polka”は1942年にAndrews Sisters, Kay Kyser盤などがヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=MtBVWncn00U

”Don’t let my Mary go round"はボビーの自作で以前に"Coming home soldier"のB面として発売されていますが、
ここではポルカ調の編曲で歌います。
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https://www.youtube.com/watch?v=pMl8LyVUNq4

"Too fat polka"は1947年Arthur Godfrey盤がヒットした作品。

https://www.youtube.com/watch?v=mN89VNRXrp4

”You are my sunshine”は1941年Bing Crosby, Gene Autru盤などがヒット。

https://www.youtube.com/watch?v=-h282o59TYw

”You can’t be true dear/I've nothing"はKen Griffin, Dick Haymes盤などが1948年などがヒットした作品に後半はBobby Vinton-Robert Morgan
の作品のメドレー

https://www.youtube.com/watch?v=6glnJ-riVcU

全20曲で構成されたこのアルバムはBob Morganの制作で編曲者のクレジットはありませんが、Al Capps, Joe Reismanが関係していることは
まず間違いないでしょう。カナダではTVで宣伝され通信販売であったにもかかわらずベストセラーとなりボビーの代表作の1枚となり
プラチナ・ディスクを獲得。筆者が1990年代にトロントの中古レコード店を訪れた際、ボビーのコーナーに10枚以上の在庫があったのを
覚えている。日本では一度中古レコードのセール会場で一度、見かけたのみ。このアルバムを聴いて驚いたのはバラードの得意なボビー
にポルカにも適正があると認識した事で、パーティを盛り上げるには最適な内容だが、日本でのポルカの認知度を考慮すると発売は
難しいかも?現在は1991年にCurb Recordsから発売された"Greatest polka hits of all time"で一部テイクを変更したりして11曲収録
されています。ほかに通信販売のCDでもでていますが、入手は困難でしょう。
TVショウではプラチナ・ディスクを受け取る様子が放映されたようだ。


この年のTVショウにはゲストにSpinners, Petula Clark, Freddy Fender, Anne Murray, Dion, Joanie Sommers, Ethel Merman,
Paul Williamsなどの豪華なゲストが名を連ねた。

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またSeason 2から The Peaches(1976-78)(Chorus) Lisa Dal Bello(2 seasons)(Female Vocalist)がレギュラーに加わり民族的な要素
が薄れることになり、ゲストの出演シーンが増え、その分ボビーの出演シーンが減ることになる。
Top of the popsで放映された"Blue velvet"で3人の女性コーラスがPeaches.


https://www.youtube.com/watch?v=jeEaELvmHr4

Lisa Dal Belloは日本でもアルバムが発売されたことがある。
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https://www.youtube.com/watch?v=li2CncZiy_g

ボビーのInternational medleyです
https://www.youtube.com/watch?v=thHfpxn2Cmc

TVの映像では平常の様子で出演しているが、番組の模様替えは内心では、よくは思っていなかったはず。
加えて専属のABC Recordsもやや業績不振が続きボビーも先行きを心配していた。

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(34)ふたたびNashvilleへ
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 1976年11月ボビーは自作の"Nobody but me"をリリース。久しぶりに故郷のペンシルベニアに帰った折
の思いを綴った作品で佳作だがACチャートの34位が最高位と今一つ伸びなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=oy0eu_6puHg

当時、ラジオの番組に出演したボビーはTVショウについて司会者から「30分では短くないのか?」と問われ
「いいんだ。できなければ翌週やればいいから」と回答していたが、結論的には30分だとゲストとボビーの
どちらに重点を置くかという問題になり、2年目からCBSの意向が働きゲストの出番が多くなり、ボビーの不満が
募っていくことになる。1977年のゲストには、ドナ・サマー、ジョニー・ソマーズ、アン・マレー、レスリー・ゴーア、
バルビ・ベントン、フレッダ・ペイン、チタ・リベラ、フィービー・スノウ、ミルトン・バール、バーバラ・マンドレル
などが出演した。つぎの映像はパティ・ペイジが出演した際の映像です。

https://www.youtube.com/watch?v=9hyi_mPV25c
ボビーのヴォーカルで"I'm walkin'"
https://www.youtube.com/watch?v=tHhH91uV06c

1977年3月頃から、Nashvilleで新作の録音を開始し5月にはアルバム"Name is love"(愛の綴り)がリリースされたが
最高位は183位。

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収録作品には"Only love can break a heart"(恋の痛手)バート・バカラックの作品でGene Pitney盤が1962年全米2位を記録。
ボビー盤はシングル・カットされるも最高位は99位。

https://www.youtube.com/watch?v=i19YKphsI40
”Hold me thrill me kiss me”はMel Carter盤が1965年全米8位を記録。ボビーはremixしたバージョンをシングル・カットするも
ACチャート43位止まり。

https://www.youtube.com/watch?v=i37WUO3uA90
"All my todays"は自作曲でこのアルバムから3枚目のシングルで結果的にはABCでの最後のシングルとなった作品。

https://www.youtube.com/watch?v=uqh-vxa3i1A
このアルバムは全11曲中8曲が自作曲という構成でソングライターとしての才能は十分感じられるが佳作曲が多くシングル
のA面としてはやや弱い。

"Baby when it comes to loving you"(D. Scotty Reed)

https://www.youtube.com/watch?v=stuattEPpn4
"Her name is love"は自作曲。いかにもボビーらしい親しみやすいメロディーが魅力的。

https://www.youtube.com/watch?v=ejO6ZxbP_zE
このアルバム、日本では1977年の夏に発売された。日本コロムビアは1976-77年にかけてボビーのプロモートを
行い、1976年の暮には発売が延期されていたアルバム"Bobby Vinton Show"をリリースするなどかなり力をいれていた。
一方アメリカではABC社内でスタッフの移動があり、「愛のメロディー」のヒットに関わったボビーの理解者が周囲
から去り、居場所のなくなったボビーは退社を決断する。
"Because of you"は1962年にも録音しているがABCでも1975年に録音、リリースされないままに終わった。

https://www.youtube.com/watch?v=wzbVnnViUGM
この他にも録音しながら未発売に終わった作品は多数ありボビーは退社時に、自身の録音作品のマスターテープを
ひきあげている。ABCは1977年にMarilyn McCoo & Billy Davis, Jrの「星空の二人」が大ヒットしたものの業績は回復せず
1979年にはMCAに吸収され、ABC Recordsは消滅する。1978年の初頭にはPickwick RecordsからABCでの2作目から4作目から
編集したアルバム"Bobby Vinton"がリリースされている。

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 このアルバムがボビーの退社前か、後のどちらの時期に発売されたかは明確ではなく、いわゆるABCでのベスト・
 アルバムは発売されずに終わった。



”Love is the reason”は自作曲、前回紹介したアルバム"Party music"に収録されていましたが、アメリカでは初発売
冒頭の"Nobody but me"のB面としてリリースされました。ポーランド語を交えてコンサートでもよく歌われる作品
でした。

https://www.youtube.com/watch?v=pmz_XZ_Lf50
”Strike up the band for love"も自作曲で"Party muisc"に収録されていた作品。"All my todays"の裏面としてアメリカでも
発売されました。

https://www.youtube.com/watch?v=4INGCDBkuEk
 TVショウはまだ継続され、エンターテイナーとして地位を築いていたボビーだがEpicを退社した時のような切迫感は
なくふたたび自費でシングルレコードを制作する手段をとった。
そんな折、自伝を出版しようという動きも周囲からでてきました。


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(35)自伝がベストセラー:貴公子の素顔
1978年古巣Epic Records はボビーの編集盤"Autumn memories"をリリースします。「二人の青い鳥」「悲しき天使」「ミスターロンリー」
「ブルーオンブルー」など全10曲収録され、好選曲でBillboard誌は推薦盤として紹介し、日本でも発売されました。


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四季をテーマにしたアルバムを企画したわけですが、翌1979年には"Spring sensations""Summer serenades"と続いてリリースされましたが
何故か"Winter"をスキップしていました。4枚にボビーのヒットを分散して収録する予定であったようですが、"Summer serenades"などは
やや選曲に新鮮味がなく、売り上げも伸びず、"Winter"は発売されないまま終了してしまいます。

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1981年には14曲入りの"Bobby: Bobby Vinton's greatest hits"をColumbia Special Productsから発売しのちにはジャケットを変更し
CD化されます。

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さて本筋にもどります。1978年"Bobby Vinton Show"の最後の1年になりました。3年契約であり、アメリカでの
視聴率が低下したもののカナダでは依然高い人気があり、続行も可能であったはずですが、
ボビーは2年目からのフォーマットの変更に不満を持ち「これは自分のショウではない。」と考えるようになったようです。
"Bad bad Leroy Brown"(リロイブラウンは悪い奴)

https://www.youtube.com/watch?v=ziYVpEOY_zQ
”Mr.lonely”
https://www.youtube.com/watch?v=85s-7mnAkys
1978年のゲストには"Marylin McCoo & Billy Davis, Jr, Anne Murray, Jackie Mason, Lanie Kazan, Richie Havens, Trini Lopez,
Donna Fargo, Gloria Loringなどが出演。
 以下の映像は1976年4月6日放映の第26話の前半です。ゲストはDonna Fargo, Hank Garciaです。

https://www.youtube.com/watch?v=Z09z6VmxrPw

ショウは3年間で75話制作され、1年52週とすると、1年の半分は再放送を3年間続けたことになります。
記録では1975年9月に開始され、最後のゲストがTrini Lopezで4月3日放送となっており、その後は8月末まで再放送
にあてられたと推測されます。オープニングにはBuddy Holly, Sam Cooke, Del Shannonなどオールディーズのほか
放送時にヒットしていたStevie Wonder、Elton John, Three Dog Night, CCRなどのヒットソングをうまく歌いこなし
実力の高さを証明しました。

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ABCを退社したボビーは再び、新しいレコード会社を探して自費でシングルを制作します。1974年の折より状況は
厳しく、大手からは謝絶され最後に残ったのはElectra/Asylumでした。曲は日本や英国では1975年にBay City Rollers
が大ヒットさせた"Summerlove sensation"(太陽の中の恋)でした。ボビーは作者のPhil Coulterに連絡をとり
Philのプロデュースでレコードを制作したのです。フランスでは1977-78年にかけてシルヴィー・ヴァルタン盤が大ヒット
していたのでボビーが知ったのはヴァルタン盤であったかもしれません。
”Petit rainbow”Sylvie Vartan

https://www.youtube.com/watch?v=tmQbq5EDISc
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"Summerlove sensation"Bobby Vinton

https://www.youtube.com/watch?v=uOv5A2AhAJE
レコードは1978年の夏にリリースされましたがACチャートで44位が最高位と振るいませんでした。43歳のボビーが
アップテンポで歌うのには少し無理があったような気がします。もう少しテンポを落とすなり編曲に工夫が必要
だったように感じますし、Phil Coulterがボビーのことをどの位、理解していたのか疑問です。
B面の"My first & only love"(Bobby Vinton-Phil Coulter)のほうがボビーに向いています。

https://www.youtube.com/watch?v=D0cMcpfSlkI

秋には数年前からオファーを受けていた自伝"Polish prince"がNew YorkのM.Evans社から刊行され予想以上のベストセラー
を記録する。全189ページ 写真12pで20章からなるこの著作、書籍には著者としてボビーの名前のみ掲載されているが
"Books in print"には共著者としてRobert Bergerの名前がある。こういった自伝の多くにゴーストライターの存在が噂される
事が多いが、ボビーの文章力については、正直、よくわからない。20章あるが各章は9-10pで時折、辞書を引けば理解は
可能な著作で、ショウビジネスの世界での体験が正直に語られている。 ボビーは自伝のタイトルについて"Polish prince"
とすることに抵抗があった。「人種の問題を取り扱った書籍ではなくショウビジネスだから"Singing prince"」のほうが」
とも考えたが、最後は自身の呼び名でもある"Polish prince"に落ち着いた。
自伝では「太陽の中の恋」のリリースにも触れており、少なくても8月頃まで原稿を書いていたと推測される。

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(36)スタンダード名曲集: 100 memories
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前回の続きで自伝の内容を紹介します。
第1章は"Everything's coming up Polish"でChicago Auditoriumでのコンサートに触れている。「愛のメロディー」がポーランド系
アメリカ人が数多く生活しているシカゴ、その市長のRichard Dailyの後押しもあり、大きな注目を集めたショウで、この日は
"Bobby Vinton Day"とされた。この本の主題は「愛のメロディー」という作品にポーランド語を用いたことで民族的な背景
によるファンが増加したばかりか、ポーランド系アメリカ人のテーマソングとなり"Polish power""Polish pride"などの用語
さえ生まれただの歌手ではなくアメリカ中に旋風を巻き起こすという予想もできなかったような反応を生んだことをファンに
伝えたかったのも出版の理由の一つ。

Bobby & Chicago mayor Richard Daley


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第2章は”Pennsylvania kid & the Heartland”と題され生まれたキャンズバーグでの生活に触れている。父親のStanleyはバンドを持ち
母親のDorothyはバンドのヴォーカリストとして活躍。

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一人っ子のボビーは、幼いころからClarinet, Trumpetなどを練習、ハイスクールではすでに自分のバンドをもっていた。父親はLes Brownや
Stan Kentonが街にやってくるとボビーをつれて公演に出かけた。Perry Comoの家は近く町の英雄であった彼に幼いころから憧れていた。
1962年に結婚するDolly Dobbinsも近所に住んでいて彼女の卒業式では演奏したりもした。
ボビーのバンドにはのちにCrystal Gayleの"Don't it make my brown eyes blue"などを作曲するChuck Cochranなどもいたが父親のバンド
と名称についてわける必要もあり、当初はRobert Vinton Orchestraの名称を使用していた。
第2章は内容が濃く、情報量も多いので、今回はここまでに止め、ボビーの誕生からEpicに入社するまでのストーリーのなかで紹介します。


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1979年ボビーはコンタクトをとってあった企画の実現に向けて動きます。カナダのAhed,以前に"Party Music"をリリースした通販専門の会社ですが、ボビーは自ら選曲した100曲をメドレー形式で歌う2枚組アルバム"100 memories"をBob Morganの制作でリリースします。
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"100 memories"から
Medley: Red roses for a blue lady/Have I told you lately that I love you/Paper roses/
White sport coat/Any time/Hello Dolly

https://www.youtube.com/watch?v=S4XhpREgU4o
Medley : Volare/Standing on the corner/Tie a yellow ribbon round the old oak tree/
Oh babe what would you say/All my loving/You are the sunshine of my life"

https://www.youtube.com/watch?v=p8YBBo_mfoA

ここまで聞いてファンの方なら、いくつも疑問がでてくるのではないかと思います。どうしてメドレー形式なのか?
どうしてオーケストラを使わず小編成のバンドをバックに使用したのか?など。
ボビーのヴォーカルが好調なだけに、少しもったいない気もしますが、2枚組のアルバムに100曲をフルに詰め込むのは
困難ですし、マイナーレーベルでの録音であり、時間的、予算的制約もあったかもしれません。
LP, 8track, カセット・テープの3形態でリリースされ、日本では1984年にカセット・テープのテープ1が"51 memories"思い出の
ポピュラー・ヒット・メドレーと題されリリースされています。

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筆者がこのアルバムの存在を知ったのは、1982年ごろで"Party music"を入手したあとまだE-mailのなかった時代に手紙で
Ahedに問い合わせたところこのアルバムの発売を知り、カナダドルで$20.00で郵送で販売できると連絡があり、送金後、船便で
約2ヶ月後に到着。この貴重なLPを入手できたのです。現在はすでに廃盤で、日本国内のセールや中古レコード店などで見かけた
こともありません。1991年にはアメリカの通信販売会社"Beautiful Music Company"からCD,LP, Cassette tapeで販売されています。
この製品も廃盤ですが、オリジナル盤、CDともebayなどのオークションサイトで入手か可能です。

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Medley: Taste of honey/You're sixteen/Bad bad Leroy Brown/Happy together/
Sweet Caroline

https://www.youtube.com/watch?v=BsKyZc2rNvY

Medley; Just the way you are/Save the last dance for me/Never my love/Most beautiful girl/I can see clearly now


https://www.youtube.com/watch?v=ApAwonqsbU8&list=PLGkL4CxBcD7ah7R2SeCOLXNajCWjJSSxV&index=4
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 今回、全曲の紹介はできませんが、Beatles関連では"All my lovin'""Yesterday""Hey Jude""I want to hold your hand""Something"の5曲が取り上げられています。また"Too young""Mona Lisa""Those old lazy hazy crazy days of summer""Ramblin' rose"の4曲、Nat King Coleのナンバーが取り上げられているのも特徴。1928年の"I'll get by"から1978年のCommodoresの"Three times a lady"(永遠の人に捧げる歌)まで収録されており
ボビーがアメリカのポピュラーソングに精通しているのが伺えます。録音はカナダではなくCaliforniaでおこなわれたようです。
編曲者のクレジットはありませんが、おそらくボビー自身とBob Morganの担当と思われます。前作の"Party Music"ほどの売り上げは
記録できなかったようですが、まずまずの成果であったようです。

 ヒット曲の欲しいボビーは、LAに自身のレコード会社を設立すべく準備にはいります。

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(37)Tapestry Recordsの設立
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 自伝の紹介
第3章"Farther out of town you go, the Bigger you are"
ここでは、大學で出会った、Gene, MIkeの2人の友人とグループ"Hi-lites"(後のTempos)を結成したものの
ボビーがKentucky, New Jerseyで兵役につくことになり、ボビーの代役の楽器演奏者をさがし、"See you in
September"がTemposの名義でリリースされチャートの上位にランクされるヒットとなったこと及びバンド
とグループの両立についての問題提起されています。

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 第4章"I want my son to do that for me someday"
ここでは従軍生活での経験について述べ、兵役からもどるとElvis Presleyの映画「監獄ロック」に触発され自身のレコード会社
Melody Recordsを設立しシングルの片面に録音した"Always in my heart"について好意的な批評があり、New Yorkで録音の計画
をたてたものの雇っていたHarp奏者が姿を現さず、組合から厳重注意をうけ$3000の支払いを命じられながら、自身で対応できる
金額ではなく見かねたボビーの父親がはらった後、ハープ奏者が自分の否を認め、その金額をボビーに返したというエピソード
などが述べられている。
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 第5章"What would happen if somebody sang a song plain and straight and simple?
この章ではMelody Recordsから発売されたシングルのB面の"Always in my heart"に地元のDJがボビーの歌唱力に注目し
"I love the way you are"のデモ録音につながりCBSと良好な関係にあったDJの助力もありCBS傘下のEpic Recordsとの
契約が成立。会社のスタッフとの打ち合わせにより当初は若者ダンス・バンドとしてスタートし2枚のアルバムを発売するも
セールスが伸びず、会社から解雇の通知をうけるものの会社側を説得し歌手として「涙の紅バラ」"Roses are red"を録音し
大ヒットするまでのサクセス・ストーリーが述べられています。


 
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TVショウの終了後もボビーはLAに在住していたこともあり、TV局からのオファーが続いた。
1979年の"Rock'n rollers"はCBSで放映された1時間番組で高い視聴率を獲得した。1978年11月20日に放送されたが
ゲストにEve Arden, Susan Buckner, Stockyard Channing, Fabianなども出演したが、商品化されておらず詳細は不明。
https://www.youtube.com/watch?v=cmBolrRGCJM
1980年にも"Gossip Columnist"(drama)に主演しているが、こちらはRobert Vaughn, Dick Sargent, Kim Cattrallなどが共演し
youtubeで鑑賞できる。

Trailer: https://www.youtube.com/watch?v=lqcKW0Ywkq8
本編: https://www.youtube.com/watch?v=Vw6WW8RpOPo&t=364s

本職の歌手として、ボビーと契約するメジャー会社はなく、1960年の暮にEpic Recordsと契約する前に、Bobby Records, Melody
Recordsなど自身の会社でシングルをリリースした経験のある彼は1979年LAにTapestry Recordsを設立し、8月第1弾"I could have danced
all night/Disco polka"をリリースします。クレジットはBobby Vinton & his orchestra 制作はTed Glasser, 編曲はGene Pageが担当し、
B面の"Disco polka"がACチャートの47位を記録します。「ペンシルベニア・ポルカ」のディスコ盤で、折からのディスコ・ブーム
の中の録音でした。


https://www.youtube.com/watch?v=g6BPa9I4qEk

A面に「マイフェアレディ」の主題歌「踊り明かそう」を選んだ理由は不明ですが、ミュージカル好きなボビーはショウの
オープニングにこの作品を歌うことがよくありました。

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https://www.youtube.com/watch?v=g6BPa9I4qEk
  
ラジオ局には2曲のLong versionが30cmLPに収録されて配布されました。

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「ディスコ・ブーム」の衰退に貢献できたと皮肉をこめたコメントをボビーは述べたとされている。
アーティスト自身が自らのレコード会社を設立することはアメリカでは珍しい事ではありません。例えばTony Bennettは1972年にCBSを退社後
MGM/Verveに移籍しますが、満足できず1975年にImprov Recordsをたちあげ1977年までレコーディングしますが、販売経路がつかめず1986年
にCBSに復帰するまで辛い時代を経験しています。


11月には第2弾"Make believe it's your first time"(遠い初恋)をリリース。Bob Morrison-Johnny Wilsonの書いた作品で同時期に
Karen Carpenterも録音しましたが発売は延期。
ボビー盤はJack Bielanが制作で、順調にチャートを上昇し始めた矢先、一部の放送局で「詩の内容が想像力をかき立てる」として
放送禁止となり、最高位は78位にとどまりボビーはがっかりします。(カントリーチャートでは86位、ACチャートでは17位にランク)
ちなみにCarpenters盤は1983年に発売されACチャートで7位を記録しますが、全米では101位止まり。


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https://www.youtube.com/watch?v=KDADBlaA4jA
ボビーはくじけずにLAのDevonshire StudioでJohn D' Andreaの編曲・指揮の協力をえてアルバム制作にはいります。
"To all the girls i've loved before"というAlbert Hammondの作品に魅了されシングル化を
希望しますが、女性ファンの反応を心配したスタッフから同意がえられず見送ります。もとはFrank Sinatraに録音してもらおうと
作曲されたようですが、1984年にはJulio Iglesias with Willie Nelson盤が全米5位を記録します。

https://www.youtube.com/watch?v=3yT_Wt3I8A0

"Papa look I'm in love"(Barry Manilow-Bruce Sussman)はバリー・マニロウの作品。以前にも"Lady of the house"というバリーの
作品を録音していました。

https://www.youtube.com/watch?v=o1TPqc_Sqe8
”You put it all together”(Gloria Sklerov-Sam Kunin)Brenda Leeも録音しているバラード。
 https://www.youtube.com/watch?v=dQpt8ZdshXE 
"This time I know it's real"(Norman Saliet)作者自身の録音は日本でも発売されています。
https://www.youtube.com/watch?v=VW7Rz_WWXi8

"He"(Jack Richards-Richard Mullan)は1954年の作品で、McGuire SistersやAl Hibbler盤がヒットし1966年にはRighteous Brothers盤も
ヒットしましたが、その時の邦題は「素敵な彼」でしたがこれは誤訳。ここでの"He"は神をさし、この曲はSacred Songとして
歌い継がれています。ボビーはアルバムの発売と同時にこの作品をシングルとしてリリースしますが、DJたちは当初からオン・エア
を拒否。ヒットにはなりませんだしたがステージレパートリーとして欠かせない楽曲となります。
のちに判明したことですが、母親のすすめで録音したようです。

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https://www.youtube.com/watch?v=TfSGAB43nnA
B面には"My first & only love"がカップリングされましたが、1978年の「太陽の中の恋」の裏面ではソロでしたが、ここでは
Carol Jolinとのduetでなかなかの出来でこの曲もアルバムに収録されています。

https://www.youtube.com/watch?v=MuyGx5ZxX68

 アルバムは"Encore"と題され1979年の暮に発売、通算31枚目のオリジナル・アルバムでしたが、「遠い初恋」の放送禁止処分が
ひびき、思うように売り上げは伸びず、又マイナーレーベルの運営の難しさを感じていたようです。

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日本の輸入盤取扱い店でも、このアルバムの入手は容易ではなく、新宿のD店で見つけるまでかなり時間がかかりました。
一言でいえば重厚なアルバムですが、大衆の好みをつかむのは容易ではなかった時代にMOR系のアーティストがアルバムを制作
するのは、かなりのハードルがありました。ボビーの次のアルバムが発売されたのは1987年になっています。

1980年には、まだお伝えできていないエピソードが残っています。

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(38)Pink Ladyと共演/友人の死を追悼

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1980年3月から米のNBCのヴァラエティ・ショウ”"Pink Lady & Jeff"が開始。1時間番組で実際にはJeff Altmanというコメディアンが
リードする形でスタートしたが、不評で番組は1ヶ月で打ち切りボビーがゲストとして登場する最終回は"Lost eisode"とされ本放送では
オンエアーされずDVD化の際は収録され、再放送時にはTVでも放映されたが、日本では未発売。ボビーは前半でHIt medley, 後半で
Pink Ladyと共演しRupert Holmesの"Him", "Johnny be Goode"などを歌うが、コメディは日本人にはわかりにくい。ほかにRoy Orbison
もゲスト出演している。

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https://www.youtube.com/watch?v=wPFB8IZvXdo&t=37s

* ここでお断りがあります。従来、月末を中心にブログを書いてきましたが、Biglobeでは来年の1月までしか書けなくなります。
ブログの引っ越し先を検討中ですが、とりあえずは2015年にボビーが活動を中止するまでは移行前に仕上げておきたいので、
提供時期が不定期になる可能性があります。どうかご理解ください。移行先がきまりましたらお知らせします。

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自伝の紹介

第6章 "Roses are red, Violet is blue
この章では前章を受けて「涙の紅バラ」の録音から大ヒットにいたるまでの過程が詳細に描かれています。
"Roses are red""You & I""Mr. lonely""Miss America"の4曲を録音し、制作にBob Morgan, 編曲にRobert Merseyを起用し
最初の2曲をシングルとしてリリースし当初は放送局で動きがなく自身でプロモート活動した過程が紹介されています。

第7章 "If only there was time to enjoy it"
ここでは「涙の紅バラ」がドイツでも大ヒットしたため、ドイツを訪れドイツ語で録音したことや軍隊生活で自身の
ファンが若い女性ばかりでなく男性にもいることに気が付いたことや歌手としてNew Yorkなどでの公演も開催され
ヒット曲の誕生によっている時間がなかったことなどを書いています。

第8章 "Do me a favor-Stop playing my song"
ここではボビーが「涙の紅バラ」の次のシングルに「ミスター・ロンリー」を希望したが、会社側は同社所属のBuddy Greco
に録音させ、自分にはSing alongスタイルの"Rain rain go away"(涙の太陽)が提供されて録音したものの、デモとして提供していた
"I love the way you are"がDJのDick Lawrenceを通じてDiamond Recordsに売却され、シングルとして発売されチャートを上昇し
はじめたため、放送局のDJたちに"I love you..."をかけないように要請したことなどが取り上げられている。


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1980年12月8日John Lennonが銃弾をあびるという悲惨な事件が発生しました。ボビーとどんな関係があるんだという疑問が当然、でてきます。
Beatlesもボビーもアラン・クラインの事務所に関係を持ち、ここで両者は知り合ったようです。ジョンの死をしりボビーは急遽、
"It was nice to know you, John"(ジョンに捧げる歌)を作曲し、録音、シングルとしてリリースします。

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https://www.youtube.com/watch?v=VDdBi7iCHt0
日本では映画「アメリカン・バイオレンス」(1981)の主題歌に使用され、シングルとして発売され静かなブームをおこしました。
ラジオ番組で制作の山本又一郎氏がエピソードを語ります。

https://www.youtube.com/watch?v=a28nG0v8AWw
アメリカでは劇場公開はされず、再編集され"Killing of America"としてTVで上映されましたが制作者から山本氏が消え、ボビーの
ヴォーカルも使用されていません。
1972年8月にNew YorkのMadison Square Gardenで開催されたJohn Lennonのコンサートにもボビーは参加し前座を
つとめています。市販のビデオではカットされており、確認はできませんが、ボビー自身は出演を認めています。
日本では映画「グローイング・アップ」(1978)「アメリカン・グラフィティ2」に「ミスター・ロンリー」が使用され
曲の良さが再認識されていました。

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1981年3月ボビーは次のシングル"Let me love you goodbye/You are love"をリリースします。Cash Box 96位 Billboard 108位を記録。

https://www.youtube.com/watch?v=a7GMiQIDRe4
今回紹介した2枚のシングルのB面にはABCでの最後のアルバム「愛の綴り」に収録されていた、"Ain't that loving you""You are love"
2作品がカップリングされています。
"Ain't that lovin' you"(Bobby Vinton)

https://www.youtube.com/watch?v=11nOF2AaTpc
レコード会社を経営しながら、Las Vegas, Atlantic City, Lake Tahoeなどでの公演をこなしていたボビーは、まさに「仕事人間」
と言えるだろう。この年にはAlbum”Polka album”をリリースしますが、新録ではなく1976年にカナダでベスト・セラーを記録
した"Party music"から編集し12曲収録した内容で、業界誌で報じられることもなく日本の輸入盤取扱い店でもほとんど見かけなかった。

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ここから"Tic Tock Polka"
https://www.youtube.com/watch?v=O-oEkPTrtD8
Tapestry Recordsはアメリカ以外では契約をとれなかったが、韓国からオファーが
あり11月にソウルで開催の"World Music Festival"にDionne Warwickとともに特別ゲストとして迎えられる予定でその折に契約交渉
する予定になっていた。

 それ以前に自身の誕生日である4月16日を目途にLas VegasのSands Hotelにファンを招待しコンサートを開催し録画しTVで中継
という予定もはいった。詳細は次回に

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(39)記念コンサートの開催/初来日
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Las VegasのSands Hotelは 1952-1996まで数多くのエンターテイナーが公演を行い、Vegasの隆盛に大きな貢献したホテルでFrank Sinatra,
Sammy Davis, Jrなどいわえる"Rat Pack"のメイン・ルームとしてCopa Roomが使用されていた。1970年代にはいるとWayne Newton,
Liberaceなどがメイン・アクトとなりボビーも'70年代後半からここに何度も登場した。
1982年4月15日ここでボビーはファンを招待し自身の誕生日(4月16日)にかかるコンサートを開催した。当時はDinner ShowとLate Show
の2本立てでDinner Showの模様は録画され60分に編集され1984年にRKO Home Videoとして発売された。

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ショウのオープニングはWillie Nelsonの"On the road again"
https://www.youtube.com/watch?v=PYncR9j4CWE

Hit medley

https://www.youtube.com/watch?v=_cBg9pyb8uc

”Please love me forever”

https://www.youtube.com/watch?v=DLYrR1H5jjY

Las Vegas hall of fame

https://www.youtube.com/watch?v=vscFEH91QuQ
当時、ヒット中だった"Let me love you goodbye"
https://www.youtube.com/watch?v=LvCgMHTDzi4

ラストは"My melody of love"(愛のメロディー)

https://www.youtube.com/watch?v=xMx2LGU1cl0

TVで放映された60分バージョンをご覧になりたいかたは

https://www.youtube.com/watch?v=BtfbCR10cbg&t=605s

次々と芸を繰り出すボビーですが、この頃のショウは1時間30分で30分ほどが編集でカットされているのが残念ですし、
デザート・イン、フロンティアと掛け持ち出演でのどを守るためにも、声をセイブして歌っています。
また、No. 1を記録した4曲もメドレーのなかで歌っていますが、’80年代にはいると4曲を散りばめて特別な思いいれ
を持って歌うようになります。「愛のメロディー」は必ずフィナーレに歌い、このショウでも最高のできです。

 TVで放映されたのちRKO Home Videoがビデオ・テープで販売し日本でも東映ビデオが輸入ビデオとして販売
されましたが、発売を知っていたのはごく1部のファンでした。


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自伝の紹介
第9章 "Thank you St. Espanola, wherever you are”
 1962年当時、New Yorkに住んでいたボビーは「涙の紅バラ」のヒット祈願に聖パトリック寺院に訪れ、その後も5年間ほど
 シングルのヒット祈願に寺院を訪れた。1974年Wardorf Astoriaでの公演でNew Yorkを訪れた際、やはり聖パトリック寺院
 を訪れ、やはり祈願し、「愛のメロディー」が大ヒットしたあと再び寺院を訪ねたおり、聖Espanolaの像はなく寺院に尋ねると
 もともとなかったというに回答に驚いたエピソードが記されている。さらに「涙の紅バラ」などの録音はCBSのスタジオではなく
この寺院の近くの教会でおこない、Johnny Mathis, Tony Bennettなどもそこを利用していたと書いています。
 

第10章 "Girls always look best in church"
スターとなったボビーが学生の頃から、つきあっていたDolly Dobbinとのデートの機会を確保するのが難しくなりGene Pitneyとの
ニュージーランドのツアーの折、ボビーは電話でドリーと連絡をとりアメリカにもどったら「結婚しよう。」と提案。
勿論、ドリーは同意し二人が8年間通った学校の近くのポーランド系の教会で1962年12月挙式。公にされたのは
1965年のはじめで皮肉にも一時の人気がピークを終えてやや下降線をたどっていきます。女性ファンの落胆が
あったのでしょうか?

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第11章 ”On the road from Canonsburg"
この章ではAlbum"Greatest hits of the golden groups"の制作のため車でNashvilleへ向かい途中で風邪をひいたものの
それが逆にレコーディングには好効果をうみ、発売当初はそれほどのセールスを記録しなかったものの後に
"Collector's item"となったことや、映画"Surf party"への出演を安いギャラで受けたが、1週間で撮影は終了し
できはさんざんであったことなどのほか妻となったDollyが第1子Robbieを産んだことなどが述べられています

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1981年10月ボビーは次のシングル"Forever & ever"をリリース。英国で1976年Slik盤が全英第1位を記録したPhil Coulterの作品。

 Slik盤

https://www.youtube.com/watch?v=TtrVvO40SDg
 Bobby Vinton盤
https://www.youtube.com/watch?v=hmKfSFU2PZs
ボビーは自身でプロモートしラジオ局でもかかりはじめたが、World Music Festivalのゲストとして10月下旬ソウル
に向かった。韓国ではボビーの人気が高く、ABCでの録音はほとんど発売され特に"Dick & Jane"はTVドラマの主題歌として
使用され大ヒットしていた。

 https://www.youtube.com/watch?v=ffda9iy5J3o
音楽祭の模様はレコード化されたが、韓国のみの発売のため入手は困難に近い。この折、ソウルの”Oasis Record”と交渉し
Tapestryからのファースト・アルバム”Encore”の韓国での発売にめどをつけ翌1982年にリリースされる予定となった。

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 韓国から直接、米国にもどらず、ボビーは11月はじめ成田空港でおり初来日をはたす。数人の音楽評論家の働きかけで
一晩、六本木のニューラテン・クオーターに出演。会場はほぼ満席となり翌朝の英字新聞にはHilton Hotelでの音楽評論家I氏
によるインタビュー記事がのった。ボビーは「ミスター・ロンリーが日本でこれほど知名度が高いとは思わなかった。
日本は重要な市場だったし、多くの音楽評論家は自分のキャリアについて自分自身より詳細に知っていたことに驚いた。
などと語っている。この公演が1987年の日本公演につながったともいえるだろう。

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「朝日新聞の当時のインタビュー記事」

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TVの"Best hit U.S.A"に出演するなど多忙なスケジュールをこなし、LAにもどりましたが、"Forever & ever"はヒットとならずに
終わりました。
"Ain't that lovin' you"はB面に収録された自作曲。

https://www.youtube.com/watch?v=11nOF2AaTpc
ヒット曲がほしいボビーは次のシングルを選定に、はやくも、とりかかっていました。
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(40)1982年のボビー
第12章
”Bigger than life,-and without pictures"

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<ボビーの記事が掲載された"Life, March12, 1965>

この章では
1965年頃から約7年間マネージャーを務めたアラン・クラインについて述べています。Sam Cooke, Bobby Darinなどをてがけたあと契約書
もなく握手ではじまった二人の関係。当時はまだ無名であったクラインだが、British Invasionの到来にともないボビーを通じてAnimals,
Herman's Hermits, Rolling StonesそしてBeatlesまで手掛けたやり手で、ボビーは、初めて「自分がBobby Vintonという歌手である。」ことを
認識させてくれた人物ととらえ、雑誌"Life"に"Most successful unknown"という10ページをこえるボビーの記事が掲載されてことを使い
Times Squareにボビーが"Copacabana"に出演する広告を掲示するなど、息の長い歌手としてボビーのアメリカのショービジネスの世界での
成功に大きな貢献をはたした。LAからNew Yorkに居住地を移る際、前マネージャーや弁護士から訴えられた折もクラインはボビーを
守った。クラインがボビーに果たした役割に比べ自分でクラインにできたことは少なかったとも述べている。
滅多に腹をたてないボビーであったからこそ、時には強引さもみられたクラインの言動も受け止めたうえで良好を関係を保ち再び握手で
別れた。(その後はクラインの弟子のPete Bennett, Glenn Millerのオリジナル・メンバーでもあったVince Carboneなどがマネジャーを務めた


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1982年ボビーはTapestryから2枚のシングルを発売する。
”She will survive(Poland)”はメロディアスな作品でポーランド語も交えて情感をこめて歌っているが
政治的なメッセージ・ソングとも受け取られかねずBillboardではチャート・インせず、Cash Boxでは93位を記録した。
ボビーは編曲者にAl Cappsを起用しPicture Sleeveを作成するなどかなりプロモートしたがマイナー・ヒットに終わった。


https://www.youtube.com/watch?v=leHsjbcTADY
この作品の原曲は"Lorelei"と思われる。
Sonny James盤(1979)

https://www.youtube.com/watch?v=2ORpsLW9bto
次いでボビーはリヴァイヴァル・ヒットをねらいGene Pitney盤
が1964年全米7位を記録したHoward Greenfield-Helen Millerの作品"It hurts to be in love"をリリースしたが、
状況は改善しなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=3f3VYhWzeU4
ここまでTapestry Recordsから発売されたシングルがすべてボビー名義のレコードだったがTR 009 "Maybe/Monkee's gun"/Mama's Prideのみ別アーティストの作品がリリースされているが詳細は不明。
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1982年5月韓国でTapestryのアルバム"Encore"が発売。曲数がアメリカ盤より2曲多い12曲。曲目も若干変更された。
"My special angel"(カラオケ)"Will you still love me tomorrow" "Fancy Pants""1-2-3""Paloma blanca" "It hurts to be in love"は
アメリカ盤には収録されておらずマニアには聞き逃せない。逆に"Flame""This time I know it's real" "Let me love you goodbyeなど
5曲が割愛されている。
"Will you still love me tomorrow"

https://www.youtube.com/watch?v=rDu8bvnnUDE
”1-2-3”Len Barryの1965年のヒット。
https://www.youtube.com/watch?v=fDtTRmH4Q94
"My special angel"は何故かカラオケで収録されているが、ここではヴォーカル盤を紹介します。

https://www.youtube.com/watch?v=5uPErFxSq78

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(41)Bobby in 1983/84
Tapestry Recordsでの販売経路の開拓に苦労していたボビーは1983年Single"Ghost of another man/You are love"をMCA傘下の
Larc Recordsから4月にリリースします。TVの"Solid Gold"にも,出演し歌いましたが、ラジオ局が放送したのはB面の自作曲
"You are love"でした。(Larc 81019)
"Ghost of another man" Kenny Rogersなども録音した作品。

https://www.youtube.com/watch?v=uTxfC-ookZM

"You are love "カントリーチャートで87位を記録。

https://www.youtube.com/watch?v=qL2gHzhH2pw

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この年には”His heart touching magic"(PA 17002)が発売LP, 8track, Cassette tapeでリリースされた。全20曲入りでEpicとABCに残された
音源が使用され「愛のメロディー」「ビア樽ポルカ」「フィーリング」「ひとりぼっちの夜」のほかEpicでの大ヒットもオリジナル音源
で収録された。

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1962年に録音されたこの曲も収録されています。"My heart cries for you"
https://www.youtube.com/watch?v=rj_8VoP_-vY
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自伝の紹介
第14章"Write me a scene for me & the kid"

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この章では2本の映画で共演したJohn Wayneについて書いています。スクリーンに登場するWayneこそ本物のWayneで、
とにかく正直で素朴な人物で、ボビーのために監督に共演シーンを設けることを要望し、実現しましたが、編集段階でかなりカットされ、
最終段階まで残ったのはわずかなからみで、自分が映画界では、やっていけないことを撮影が進むにつれて感じたもののWayneと共演したことでいろんなことを学んだと書いています。撮影現場のWayneからは学ぶところが多く、なによりその正直さに感銘し、その後の自身のステージ
では、あるがままの自分を観客にみせようとするようになったと書いています。
第15章"The Fan Club"
1960年代、北米にはボビーのファン・クラブが5つ程存在して活動していた。ここでは、その内、New York州でJulia & Tony Walker夫妻が
中心になって活動していた"International fan club of Bobby Vinton"について触れています。ボビーがエピックとの契約が切れて苦労していたころ
ボビーはジュリアに「もう解散してください。」とすすめるも「まだこれからです。」と答え他界する21世紀のはじめまでNewsletterを発行し
ファンに情報を伝えた。ファンは時には、おっかけなど行き過ぎることもあったが、ボビーは基本的にファンを大切にするひとで
この章ではこうしたファンに対する思いを述べている。(現在はツアーから撤退している事もありFacebookに2つほど活発な投稿で
情報を伝えているファン・クラブがありファンからの情報を集めたり、情報を提供している。)

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第16章"The storm before the calm"
1970年代になるとボビーは'60年代のように順調にヒットをだせず苦しい時期がありました。ヒット曲がないとコンサートの観客動員にも
大きな影響が出て、10数名の前でのコンサートもあったようです。取り巻きたちも、ボビーから離れレコード会社も「愛はいつまでも」
「涙のくちづけ」の2曲のヒットを出した1972年でさえ、ボビーに見切りをつけようとしていました。そうした中でも
ボビーを支えたのはファン・クラブ、熱心なファンの存在でした。1950年代後半Les Brownのバンドでドラマーをしていたロイド・モラレス
と出会ったのもこの頃でした。ロイドは公私にわたりボビーを支え、1992年にBransonに移住するまで約20年間ドラマーとして
ボビーのバンドのメンバーでもありました。
Bobby with Lloyd Morales.

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1974年「愛のメロディー」の大ヒットでボビーもステージ・エンターテイナーとしての地位を確立しヒット曲の有無にかかわらず
常に多くの観客を前にしたコンサートを開催できるようになったのです。

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1984年ボビーは、シングル"I know a goodbye/Bed of roses"をリリースする。レーベルはTapestry Recordsになっているが
販売はDoor Knob Recordsに委託している。Nashville録音で制作はPete Drakeが担当。

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"I know a goobye"
https://www.youtube.com/watch?v=y8sUGF-sSvA
”Bed of roses”こちらがカントリー・チャートで90位を記録。
https://www.youtube.com/watch?v=OR2ho5_G2K0

 この年の秋、ボビーはTVでのSpecial showをオファーを受けます。内容は1985年の1月第1週に1時間の生放送で"Bobby Vinton Show"
を放映するというものでした。1975-78年まで放映されてTVショウとの関係はなくボビーがホスト役でゲストが出演するという内容でした。
ただ制作費が潤沢ではなく、金額の範囲内でゲストを選ぶような条件がついていました。ボビーはバンドの女性を加えることなどを
検討していたようですが詳細は次回に譲ります。
(1977年のアルバム「愛の綴り」の裏ジャケットの写真はロイドが撮影しています。)

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(42)TVショウの再現
1985年1月6日"Bobby Vinton Show"が全米で生放送された。1975-78年に放映された同名のヴァラエティ・ショウを期待したファンは
複雑な気持ちで、鑑賞したであろう。1時間番組ながら、無名のゲストが多く、Patti Page, Willie Tyler & Lester(腹話術) それにカントリーの
Boxcar Willie位しか知名度のあるスターの出演はなくオーケストラにはトロンボーン、トランペット。サックスにそれぞれ1名の女性
を配し、弦楽器は全員女性という異例のスタイルで構成されたバンドは、前回紹介したLloyd Moralesがドラマー、Tapestry Recordsで
ボビーのレコード制作に協力したJack Bielanがピアノが加わっていたものの、全体としての力量にやや疑問のある出来だった。
またPatti Pageを呼びながら、「テネシー・ワルツ」とボビーのヒット曲のメドレーで"I love how you love me"を披露しただけで
ボビーとの共演や会話もなく、次々とゲストを紹介していく番組の構成には疑問を感じた。救いははホストを務めたボビーの人柄と
"He"の歌唱と"Big band medley"だった。ボビーのGlenn Millerへの傾倒ぶりが伺われる演奏シーン。

”Big band medley"

https://www.youtube.com/watch?v=Ig6Zo6QvYTQ
"I love how you love me" Patti Page
https://www.youtube.com/watch?v=FnqhHkIwZ3g

”He”
https://www.youtube.com/watch?v=6j7k0FOSX-c

その他、Jerry Lee LewisばりのJack Bielanのピアノ演奏も印象に残ったが、全体的にゲストの選定、台本にもう一工夫が必要に
感じた。1994年にはこのショウがビデオ化されVHSで販売された。ちょうどLas Vegasでのライブ・ビデオが廃盤になるタイミング
で日本の輸入盤取扱い店の店頭にも並んだが、売れ行きは不明。

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自伝の紹介
第17章 "Moja droga, ja cie kocham"
ボビーは1974年「愛のメロディー」を録音したが7つのメジャー・レーベルでは"Polish joke"と扱い、認められなかった。エージェントの
アル・ガリコはABC recordsを推薦し、ボビーは社長のJay Laskerと面会。その席で大ヒットを約束された。それまで歌詞にポーランド語
使用しヒットした例はなく、当初は動きがなかったがいろいろ工夫の結果チャートに22週ランクされ全米第1位を記録した。
歌詞にポーランド語を使用したことからポーランド系アメリカ人からの反応が大きく、民族的な背景によるファンが急増し、契約が破棄されたLas Vegasのフラミンゴ・ホテルにかわりMGM Grand Hotelでのショウが決定した。
第18章 "Mothers, apple pie, and Bobby Vinton"
「愛のメロディー」は実は、自分の元を離れていったファンに対するボビーの素直な気持ちを表現している。「隠れる場所があれば隠れたい
自分のプライドだって、こんな気持ちは耐えられない。自分の曲がポピュラーで誰もが、聴いてくれた時代に戻りたい。」といった自身でつけた英詩について語り、この曲にこめられたPolish PrideはCannonsbergのSmith Strretに住んでいたKidからでていて詩人でも歴史家でもない。
「愛のメロディー」を聴けば年齢、人種、肌の色、宗教、経済状況ばかりでなく民族的背景にまでプライドを持てるとも述べている。

全盛期に1965年のTV"Hulabaloo"で共演したChad & Jeremyはアメリカで嫌いなものは何か?の問に"Mother, Apple pie, & Bobby Vinton"と
答えた。
 現在、自分の年齢、信仰、ポーランド系アメリカ人であると主張すればするほど自分はアメリカ人だと認識することになると結んでいる。

https://www.youtube.com/watch?v=oUbUGtsoFSY

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この年はシングルの発売はなくHeartland Musicから2枚組の編集アルバムが通信販売でリリースされた。
TV-CM

https://www.youtube.com/watch?v=IUWVN5mPG_w

”Best of Bobby Vinton””Ballads of Bobby Vinton”の2枚が廉価でLP, Cassette, 8track tapeで発売。
収録曲には初登場の作品がいくつか含まれている。
Della Reese盤が1959年全米2位を記録した
"Don’t you know"(永遠に慕いて)

https://www.youtube.com/watch?v=-r7a2YORLR4
"You'll never know"(Alternate take)
https://www.youtube.com/watch?v=88cEjPf1-s0
”Because of you”
https://www.youtube.com/watch?v=dHLOWYStwPI
上記3曲はABC Recordsでの録音かTapestryでのものか資料により不統一で不明だが編曲はAl Cappsと思われる。

この2枚組にはEpicでの大ヒットのほかABCでの「愛のメロディー」「ビア樽ポルカ」「愛のフィーリング」のほか
"100 memories"からも2つのメドレーも含まれここまでの歩みを知るには格好の選曲がされている。

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またこの年 Beverly Hillsの邸宅を映画監督のスティーブン・スピルバーグに売却しマリブの新居に移った。

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 この年の秋、Las Vegasのショウを終えたボビーの楽屋に別の映画監督が訪れた。

With Tony Orlando(circa 2020)

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(43)映画「ブルー・ベルベット」公開/日本公演実現
1985年秋、ラスベガスのボビーの楽屋を訪れたのは映画監督のDavid Lynchでした。Lynchは映画「ブルー・ベルベット」
の制作をボビーに報告し、映画への出演とテーマ曲の使用の許可を求めましたが、台本に目をとうして出演については拒否、
楽曲の使用は認めました。映画は翌1986年公開されました。Epicはシングル"Blue velvet"を再発売。サントラのCD
にはボビーのヴォーカルは収録されませんでした。日本での劇場公開は翌年(1987)。


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https://www.youtube.com/watch?v=70wBYONp_5Q

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自伝の紹介
第19章"My kind of town-Chicago"
1974年12月29日Carnegie Hallでボビーのコンサートが開催された。Tony & Julia Walker夫妻(ファンクラブ)もボビーと同じく早々に会場にきていた。ボビーのショウは”Polish picnic"と呼ばれ、翌朝のNew Timesのコンサート評も上々だった。シカゴ市長デイリー氏は1975年1月18日を
"Bobby Vinton day"と定め、ボビーはシカゴの名誉市民となった。その日の夜”Chicago Stadium"でコンサートを開催。市長はボビーを"Polish
Prince"と呼んだ。
TV ショウでホストを務めていた、Mike Douglas, Merv Griffin, Dinah Shoreなどはボビーが不遇であった時期でも支えてくれた。Las VegasのショウをみていたCanadaの放送作家Chris Beardeはテンポのよいボビーのショウに関心を示し、カナダで計画されている
TVショウのホストの候補にあげて、アメリカのCBSも同意しシンジケート方式による"Bobby Vinton Show"の放送がきまり、契約は1975年から
3年だった。1年目は順調にスタートしたが、2年目からはCBSから異論がでてボビーの出番は減り、ゲストが中心の構成へと変化していった。
ボビーは徐々にショウに対する意欲を失い、ショウは3年で取りやめ、契約を更新しない道をえらんだ。「デイリー市長がTV局の編成にいたら
こんなことにはならなかった。」と残念がった。

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第20章"Showboat"
"Showboat"とはボビーの父親Stan Vintonの愛称。地元ではBandleaderとしてボビーの生まれる前から活躍していました。一人息子のボビーを
母親のDorothyとともに可愛がり、ボビーは必然的にバンドに興味を抱いていきます。5人の孫にも恵まれてショウ・ビジネスの世界で成功した
ボビーを支え、Chicago Stadium やCarnegie Hallでのショウに接したあと父親の健康状態は思わしくなくなりピッツバーグの病院に11ヶ月入院しましたが「骨がん」は進行し1976年2月17日、帰らむ人となりました。ボビーは母親、妻のドリーとともに立ちすくむだけで何もできず悲しみは抑えられませんでした。

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この年リリースされたシングルは1枚のみ。"Sweet lady of liberty"でプロモート用に作成したもので一般には発売されなかった。
同時にプロモーションビデオも制作された。「自由の女神」像がアメリカに設置されて100年にあたることから制作したもので
レコードはTapestry Recordsからリリースされた。

https://www.youtube.com/watch?v=Lh93Hg6tpfg&t=7s

 秋には米国でCo-ordinatorの仕事をしていたM氏は日本からの連絡をうけBobby & Dolly夫妻とBeverly Hills Hotelのポロ・ルーム
で面会し日本からの来日公演オファーの詳細について説明した。ポロ・ルームはテーブルに電話が設置され客の大半はCelebrityという豪華な
喫茶室で有効的なムードで会話はすすんだ。日本ではこれに先立ちDJの水野裕二(ペンネイム)氏、音楽評論家の水野佐知子氏などが中心になりボビーの来日公演について検討していた。コーオーディネイターのM氏は佐知子氏の妹で裕二氏はMin-Onの仕事をしていたので
プロモーターは民音ですすめれていた。また裕二氏と佐知子氏に血縁関係はない。ボビーの母親が以前から日本への旅行を希望していた
事もあり交渉は順調に進んだ。最終的には大阪、名古屋、首都圏(4ヶ所)の計7公演が1986年の暮には決定していたらしい。
ただ水野氏は民音側に全国各地での公演を要望するも実現しなかった。

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LPに変わりCDがメディアとして登場。ボビーの最初のCDはEpicの"Bobby Vinton's greastest hits"で1987年4月アメリカで発売
され日本でも同年6月来日記念盤として日本で初発売されました。"I love you the way you are"のEpicでの再録音はこの時が
日本で初登場でした。

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https://www.youtube.com/watch?v=k2JXF2PGpeg

この時期全米のConcert tourをおこなっていたボビーですが日本公演は7月に設定され7月4日の独立記念日にLas VegasのSands Hotel
でのコンサートを終え日本へと向かいました。ボビーとその家族、バンドのメンバー、それにコ―オーディネイターを加え総勢約15名の
陣容でした。

https://www.youtube.com/watch?v=wpcw7QsyUZw

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(44)想い出の日本公演(1987)

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 1987年の来日アーティストには"King of Pop"ことマイケル・ジャクソンがいて、人気絶頂のマイケルに対し、オールディーズ系の
Lesley Gore, Del Shannon, Johnny Tillotsonの3人によるツアーとBobby Vintonの最初で最後となるツアーなどが開催されたが、ボビーの
ツアーは来日予定であったギタリストが直前に骨折し来日できなくなり、日本のスタジオ・ミュージシャンを補充するなどのトラブル
もあったが7月9日には民音会館に挨拶に訪れた。この時からボビーは湿気のある日本の暑さに悩まされていた。7月11日が初日で場所は
川崎産業文化会館で18時30分開演だった。

https://www.youtube.com/watch?v=J3gIMXDxM4c&t=158s

このインタビューは7月14日TBS系の朝の情報番組からのものでこの後、TBSラジオの番組にも出演しましたが、公演のTV中継はなく
プロモートも十分ではなく、来日自体を知らないファンも多かった。
日本でのショウの構成は司会を務めた水野裕二氏とボビーが相談し、初日の川崎公演はボビーの希望でLas Vegasスタイルだったが
受けなかったので翌日の大阪からは水野氏の選曲・構成で2部構成、はじめに水野氏が登場しボビーのキャリアを説明し
アンコールの前に再び水野氏が登場。「ミスター・ロンリー」「ある愛の詩」「クライング」でショウは終了。途中15分の休憩をはさみ
コーオーディネイターとして同行したM氏がボビーの英語をその都度客席から訳すという気配りをみせたコンサートだった。
大阪公演のオープニングは「パロマ・ブランカ」でボビーは"Hot, hot"を連発しジャケットを脱いだ。驚いたのは体形で
1985年のTVショウではスマートだったが下腹がぽっこりでていて、この2年の間に何があったんだろうと心配したがボビーはいさい
構わず神戸、京都、大阪などから集まった客席の7割位を占めるファンを前に誠心誠意ショウをつとめた。

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バック・ミュージシャンとして参加していたTom Kubisはのちに後にビッグバンドのリーダーとして活躍することになるがピアノ兼
女性ヴォーカリストとして参加していたCarol Jolinと恋仲になり、やがて2人は結婚し、ボビーから離れていく。ストリングスを加えた
かったボビーだが経費面でままならず1名の日本人ヴィオリン・プレイヤーを追加。その他1名のトランペッター。それにドラマーは
Lloyd Moralezがつきバンドの指揮も担当した。その他、ギター、ベース、パーカッション、トランペット(2名)、トロンボーンには
それぞれ日本人のスタジオ・ミュージシャンが好演していた。

 7月12日(日)大阪公演(14:30-17.00)では”Red roses for a blue lady"を歌ったほか、Treniersの"Go, go , go"ではボビーのサックス演奏
が聴かれた。
また自身のヒット曲はメドレーではなく、すべてフルに歌われた。
"To all the girls"はボビーがアルバム「アンコール」を録音中に、是非シングルとして発売を希望したが、スタッフが(英詩の
内容が女性ファンに適さないと)反対しリリースされなかったというエピソードも披露された。

https://www.youtube.com/watch?v=3yT_Wt3I8A0
この他、大阪では"International medley"のほか、後半ではInstrumental medleyがありボビーのクラリネット演奏技術の素晴らしさが
堪能でできた。前半の4曲目に歌われた"To know you is to love you"は"You"を観客に置き換えて歌っているようでうまい構成だった。
観客は男女が半々、若いファンの姿も見られた。残念だったのはコンサート・パンフレットがなかったこと。招待客にのみA4の2つおり
のフライヤーのような案内が渡されたが、LP"ボビー・ヴィントン全曲集”に収録されている曲の解説がついているだけでこの日のプログラム
とは無関係だった。
前日は川崎公演(18:30-)この日は昼間の公演で少しボビーに疲れも感じられた公演でもあった。翌13,14日と東京公演と続く
公演に体調が心配された。

 7月13日(月)ゆうぽうと簡易保険ホール(18:30-21:00)
この日の座席は前から2列目の中央という願ってもない位置だったが、開演後しばらくして後ろを振りかえると10列目位までは満席で
その後ろはポッポッと観客がいるといった不入りで正直気の毒なきがした。翌日も東京の新宿厚生年金会館での公演だったので
分散した可能性もあるが、やはりプロモート不足を感じた。それでもボビーは日本の首都、東京でのステージの意味を理解して
自分のみた3公演のなかではこの日が一番のできだった。第1部、第2部とも「涙の紅バラ」ではじめ1部では"New attitude"2部では
"Old time rock'n roll"を続けた。この日は"International medley"にかえJohnny Mathis, John Wayneなどの物まねを披露した。アンコールで
披露した「ある愛の詩」では歌詞を間違えるも、ラストでは素晴らしい声量を示してくれた。会場には音楽評論家の姿もちらほらみられ
終了後、楽屋では名刺交換などがおこなわれたらしい。

7月18日(土)愛知厚生年金会館(18:30-21:00)
15,16日に公演はなく、マスコミ、音楽関係者を招いて東京湾のBay Crusieに参加したボビー。冒頭の写真はこの時のもの。水野氏に
よるとボビーを夜遊びに誘っても、ホテルで公演に万全を期して体調維持につとめていたそうで、真面目な性格がうかがわれるエピソード
でもある。
日本公演ではTop10ヒットが原則歌われ、それ以外では「涙のくちづけ」「虹のパラダイス」「テル・ミー・ホワイ」が歌われ
名古屋公演で「テルミー、、、」にかわり"Ev'ry day of my life"が歌われた。

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また「涙のくちづけ」は最高位こそ19位だがカナダで第1位
を記録し日本でも4~5万枚のセールスを記録するなど世界的な大ヒットを記録しているため「ブルー・オン・ブルー」や
「こんなに愛しているのに」と同等の扱いで歌われた。このほかではMusical"Cats"の主題歌"Memory"もどの公演でも歌われた。
アメリカの公演では「愛のメロディ」がクロージングで歌われるが、日本公演では、このあと一度退場後、司会者の「まだあの
曲が残っていますね。」という紹介のあと「ミスター・ロンリー」を歌った。ラストはRoy Orbisonの"Crying"でボビーは1962年
に録音しているが、アメリカで20世紀の後半ではステージでの重要なレパートリーとなった。次の映像は日本公演のものでは
ありませんが同じ編曲でNashvilleのTVショウで歌ったものです。

https://www.youtube.com/watch?v=ezv5-XKYE7Q
日本での最後のコンサートとなったこの日のショウは全体的にやや力みが見られたが、"Total entertainer"とも呼ばれるボビーの
芸は十分示され、Sammy Davis, Jr, Trini Lopezなどの影響が感じられた。公演の最終日でもありステージから向かって右側の前列
に母親が鑑賞しており、観客にも紹介し家族の絆を感じさせた。

日本公演の映像は残されていないので
2015年3月20日のLas VegasでのLive concertから1部をご覧いただきます。

https://www.youtube.com/watch?v=kOVAb7YGk44&t=314s

後にボビーは日本公演について「観客の入りはいまひとつだったがマナーは素晴らしく、十分、ショウは堪能してくれた
と思う。」と語っている。
 
8月はTom Kubisを起用しての久々のレコーディングが待ち受けており、十分な日本の観光を楽しむ余裕はなく足早に
本国にもどりました。

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(45)久々のアルバム制作
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アメリカに戻ったボビーはTom Kubisとの共同作業でクリスマス・ソングの録音に着手します。
制作はBobby Vinton & Tom Kubis,
編曲はTom Kubis
クリスマスソングの録音は、おおむね7、8月にされ、10月の発売が見込まれます。
"Santa Claus is comin' to town"「サンタが街にやってくる」

https://www.youtube.com/watch?v=NFmMW0Ae7eA

”Jingle bells”
https://www.youtube.com/watch?v=yIvtFqIpJXM

”Santa must be Polish"(Bobby Vinton-Margie Cuthbertson)

https://www.youtube.com/watch?v=tQR9A5LB48Q

この他、"Deck the halls" "Silent night"が録音され、5曲入り、変則アルバムとしてLP, カセット・テープで
発売され、Tapestry Labelで発売されましたが、レコード番号のTRS1001は1981年の"Polka album"と重複しています。
またシングルとして"Santa must be Polish/Santa Claus is comin' to town"が発売されています。

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西海岸のマイナーレーベルでもあり、日本の輸入盤取扱い店での入手は容易ではなく、アメリカの知人から送ってもらい入手した
記憶があります。

何故、5曲しか録音しなかったのはあきらかではありませんが、ボビーの意欲あふれる充実した作品集で1987年、1988年
の2年間、Billboardのクリスマス・アルバムのチャートにもランクされています。CDがメディアの中心となってくると
各種のオムニバスアルバムに組み込まれるなどボビーの代表作のひとつですが、日本では"Jingle bells"のみクリスマスの
編集盤CDでの紹介でとどまってしまっています。

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またタイトルの"Santa must be Polish"はポーランドでも放送が認められ、クリスマス・シーズンには歓迎されています

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もうひとつ触れておきたいのは、この年の6月下旬ボビーがポーランドを訪問している点です。あくまで推測ですが、この時の
印象をもとに"Santa must be Polish"を書いたのではないかということです。ただタイトルに"Polish"をいれてしまうとヒットは
難しくなります。
ポーランド旅行の折の映像が残っています。

https://www.youtube.com/watch?v=wZ-RPXDSDIk&t=23s

 この年には、もう1枚、シングルをリリースしています。
Starr 1453 Polka radio/Birthday polka で”Polka market"向けの録音と思われます。
制作はBobby Vinton & Tom Kubisでクリスマス・アルバムと同時期の録音と思われます。

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"Polka radio"
https://www.youtube.com/watch?v=8bQCHfwj6fw
"Birthday polka"
https://www.youtube.com/
(46)Curb Recordsと契約:「涙のくちづけ」を再録音
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Curb RecordsはMike Curbの経営するレコード会社で1964年設立され、MGM, Warnerなどと提携し"Candy Man/Sammy Davis, Jr",
"You light up my life/Debby Boone"などのヒットをだし、1988年当時はMCAと提携していた。主には、カントリーであったが、
この時期にはMOR系のWayne Newton, Andy Williams, Don McLeanなどとも契約し1990年には映画「ゴースト」の主題歌
"Unchained melody"をRighteous Brothersに再録音させ大ヒットさせた流れに従いBobby Vintonにも新作の録音の機会を
与えるべく契約した。
 第1弾は"Sealed with a kiss/Last rose"のシングルで12月にリリース。
bv45scurbseal1.jpeg"Sealed with a kiss"(涙のくちづけ)

https://www.youtube.com/watch?v=-l21mgNPbco
発売当初、ラジオ局では順調にオン・エアーされたが、歌い手がボビーとわかると途端にB面の"Last rose"をかけるようになり
カントリー・チャートで63位まで上昇した。

https://www.youtube.com/watch?v=4eDJN9rR1Os

同時にAlbum"Bobby Vinton"も年末にリリースされ、日本の輸入盤取扱い店の店頭にも並んだが、日本盤は発売されずに終わった。
カタログには副題として"Now & then"がついており当初はLP, Cassette, CDでリリースされる予定だったが次作からに変更された。
アルバムは全10曲入りで、A面の5曲の制作はBobby Vinton & Tom Kubis。編曲はTom Kubis。
bvpiccurb.jpg"Blue on blue"は再録音で日本では今日まで未発売。

https://www.youtube.com/watch?v=yhlySlCMWws
”When I was seventeen”は自作曲でEpicやABCでも録音しているが今回はロック調の編曲で聞かせる。
https://www.youtube.com/watch?v=q2UNcAzT-wY
この曲と1曲目の「涙のくちづけ」にはDance mix versionも制作され12inchLPで別途発売された。
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"Proud to be an American"(Bobby Vinton-John Prill)
https://www.youtube.com/watch?v=UQ29CpnePlQ



B面では2曲目の"I go to pieces"が聴きもの。制作はMike Levitz, Mike Murphy, & Howie Horowitz。

https://www.youtube.com/watch?v=meIV0cs2rOc
この他、"Blue velvet" "My melody of love"(愛のメロディー)がオリジナル録音で収録されている。移籍第1作でもあり今後の
進路を模索しているような印象を受けるが、Tom Kubisはこのアルバムを最後にボビーから離れビックバンドのリーダー
をめざしていくことになる。

  "Sealed with a kiss"(dance mix)
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https://www.youtube.com/watch?v=_cYk54W0NO4
この年の8月、古巣EpicはボビーのCD第2弾として1966年にLPとして発売された"More of Bobby's greatest hits"をリリースした。
1964-66年のシングル・ヒットがステレオ録音で収録されており、音質も良好。収録曲は10曲であっというまに終わってしまうが
抒情性にあふれた素晴らしい作品集で今日でもカタログに残っておりファンは聞き逃せない。
"Dum-de-da"(恋する二人)

https://www.youtube.com/watch?v=kavcI-TRwKA
1989年にはいると、CDの普及はすすみ、徐々にLPからCDへと置き換わりがすすみ、ボビーも新作アルバムをCDで発売
すべくNashvilleに向かいました。



(47)Album"Timelss"/What did you do with your old 45s

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1989年、かってEpic , ABC, Tapestryでも録音を残したNashvilleでボビーは新作アルバムの制作に臨んだ。
Producerはカントリ界の大御所Jerry Kennedyがあたり、録音は春に始まり、まず6月にシングル"Please tell her that I said hello"
をリリースした。1975年Debbie Campbellが録音し全米84位を記録した作品のカヴァーでボビー盤はカントリーチャートで
70位を記録した。

https://www.youtube.com/watch?v=l9Zz0wlqvTw

”It’s been one of those days"は続いて10月にリリース。この曲はMichael Llyodの制作でカントリー・チャートで64位を記録した。シングル化に
あたり、ボビーは6月にリリースしたアルバム"Timeless"に収録したAlbum versionとは別テイクを使用し、Promotion videoも制作した。

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https://www.youtube.com/watch?v=MJ3h7O4DSLY

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Abum”Timeless”のなかでもっともキャッチ―な作品"What did you do with your old 45s"は翌1990年早々にCassete single, CD single,
45sで発売されチャートには登場しなかったが、この後のコンサートでは必ずレパートリーに加えた。

https://www.youtube.com/watch?v=oaj-HTolqYI

”Fool such as I”(Bill Trader)は1953年の作品で1959年にはElvis Presley盤がヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=PiU_m2DSrTE
Nashvilleのそうそうたるミュージシャンを集めて制作されたこのアルバムは全体的に地味なサウンドで大きな成功をつかめず、日本
での発売も見送られた。

"Ain't no pleasin' you"
https://www.youtube.com/watch?v=jjxLgynafHs
”I made love(with you tonight)
https://www.youtube.com/watch?v=uXCWdBqmy1g
アルバムは全10曲入りで、"Last rose"以外はすべて新録音。
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-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------次の映像は、Ed Sullivan Showに初出演したときのもので2015年アメリカのPBSで放送された"Music yearbook: 1960-1963"の冒頭で
紹介された映像で1964年1月19日の放送分です。"Blue velvet/Roses are red/There! I've said it again"のメドレーです

https://www.youtube.com/watch?v=X9d0Z5UlIeU

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Curbは続いてシングル"Are you sincere"のプロモート・シングルを制作しラジオ局に配布するが、反応が今一つでリリースは見送る。

https://www.youtube.com/watch?v=KP5GL6hwGms
邦題「本気なのかい」のタイトルで知られAndy Williams盤が1958年全米3位を記録しボビーはEpicでも録音しているが
この再録音のほうができはよく、次にリリースされる予定のベスト・アルバムには収録される見込みとなった。
また、CDの登場以来待たれていた「愛のメロディ―」のCD化も、このベスト・アルバムで実現することになった。

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(48)英国で「ブルー・ベルベット」が大ヒット。

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1990年秋、英国のNivea CreamのLotionsのTV CMにボビーの"Blue velvet"が使用された。レコード会社はシングルとして
リリース。イギリスでは「涙の紅バラ」「ブルー・ファイア」位しかヒットのなかった彼にとっての思わぬ大ヒットとなり
全英第2位を記録した。

https://www.youtube.com/watch?v=72ovXoVM9EU

アルバムもリリースされ1964年にアメリカで発売された"Bobby Vinton's greatest hits"に"Halfway to paradise"(虹のパラダイス)を
追加して全13曲入りでしたが、選曲に新鮮味がなくチャートの下位にとどまりました。

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1997年にドイツで編集されたベスト・アルバム"Blue velvet: Very best of Bobby Vinton"の方が選曲がよく、全20曲いりで、英国では
ドイツ語のブックレットをはずし二つ折りのジャケットに変更し廉価で販売し現在でもカタログにのこり、ベスト・セラーになっています。

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"Great pretender"
https://www.youtube.com/watch?v=nHQcEDXy0Kc
ボビーがフォローアップ・シングルとして選んだのは"Roses are red"でした。理由は映画「グッドフェローズ」(1990)に使用されて
いたからでしたが、映画に使用されたのはカーブレコードで再録音されたアレンジの異なるバージョンでした。

https://www.youtube.com/watch?v=HfEPMDGcUfU
チャートの下位にとどまり勢いがそがれてしまい、さらに予定されていた英国ツアーも「湾岸戦争」のため中止になってしまいます。
このあたり、少し運のなさを感じます。

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 米国にもどります。1990年3月Curb盤"Bobby Vinton's greatest hits"がCDでリリース。
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"Roses are red" "Blue velvet" "Mr. lonely"の3曲はEpicのオリジナル音源で収録されています。"Blue on blue"は再録音ですが、
Curbでのファーストアルバムに収録されていたヴァージョンとは少し異なります。"Sealed with a kiss"はスローバージョン
の再録音で収録されています。

https://www.youtube.com/watch?v=Urjs2Y2OVYA
この他「愛のメロディ―」"I've always loved you" "Because of you"(1976年の録音)"What did you do with your old 45s"など全10曲が収録され、
現在でも入手できますが、データ配信が開始されたため"Roses are red" "Blue velvet" "Mr. lonely"はCurbでの再録音に差し替えられ、配信のみ
"Somebody special"が入手できます。

https://www.youtube.com/watch?v=pZAK0B_As0E
また現在のCDはOn demand商品としてCD-Rで発売されています。

10月には"Great songs of christmas"がリリースされました。内容はTapestryで1987年の録音した5曲にCurbで追加に録音した5曲を
加えた全10曲入りのクリスマス・ソング集。

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Tapestryでの意欲あふれる録音に比べ追加で録音された5曲はMichael Lloydの制作で
編曲はJohn D' Andrea(この人はLP”Encore”(1979)でも編曲を担当していました。)で美しいストリングスの編曲とボビーのヴォーカル
が今一つかみあっていないように感じます。
"God rest ye merry gentlemen"

https://www.youtube.com/watch?v=GDSpz8I1UB0
”Christmas eve in my hometown”1970年にEpicで録音していますが、ここでは編曲の妙が楽しめます。

https://www.youtube.com/watch?v=pEYw0WX6-o8&t=25s

"Deck the halls"1987年の録音。

https://www.youtube.com/watch?v=iVXGO76rxmQ&t=62s
現在はジャケットを変更したCDもでているようです。
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この時期CurbからはAndy Williams, Wayne Newton, Don McLeanなどのクリスマスCDも発売されましたが、日本でリリース
されたのはAndy Williams盤のみでした。


この年の夏、「湾岸戦争」が勃発するとボビーは戦場に送り込まれた家族の安全を心配した子供のナレーションを加えて"Letter to a soldier"
を録音し、CDシングル及びカセット・シングルで発売。制作はMichael Lloyd.

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https://www.youtube.com/watch?v=D37VkA1gRZA
B面はナレーションのない"Mr. lonely"で日本ではこちらが編集盤に加えられて発売された。
 https://www.youtube.com/watch?v=D37VkA1gRZA
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同時に1966年にリリースされ全米11位を記録した"Coming home soldier"とともにラジオ局では盛んにオンエアーされた。

https://www.youtube.com/watch?v=rT1ioSVcX8w
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Curb Recordsは"Mr. lonely"の再録音盤を中心としてアルバムの制作にはいった。制作はMichael Lloydで"Blue velvet"も再録音。
詳細は次回に。

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(49)1991年はCDが続々リリース
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1991年にはカーブとSony MusicからCDとカセットで新譜、編集作品などが数多くリリースされた。
カーブから1月にリリースされた"Mr. lonely: his greatest songs today"は全12曲入りで往年のヒットの再録音と移籍後のヒット曲で構成。
”Roses are red”(涙の紅バラ)はFour SeasonsのBob Gaudioの制作でオリジナルとは異なるアレンジで最も印象に残る作品。

https://www.youtube.com/watch?v=LhWMO12d9gA

”Gypsy love”は自作曲で1974年にABCで録音しているが、ここでもことなる編曲で歌っている

https://www.youtube.com/watch?v=b8wH5rJJfKM

”Blue velvet”の再録音も収録されているが、オリジナルを超えた録音でもないが当時人気のあったRonnie McDowellとのduet盤も別に
リリースされており日本でも発売された。

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https://www.youtube.com/watch?v=d7sU3tCe7MM

"My melody of love"(愛のメロディ―)はカントリー調のremixがほどこされている。日本では"Natural '70s"というCDに収録されて発売。

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後半には"Last rose" "It's been one f those days"などが選曲されており、全体的にカントリー調の編曲で、日本での発売は見送られた。

7月に発売された"Greatest polka hits of all time"は得意のポルカ集で1976年のアルバム"Party music"から8曲、その他に3曲ながら
"Beer barrel polka"(ビア樽ポルカ)は1975年のヒット・バージョンとはテイクが異なっている。

https://www.youtube.com/watch?v=lK0Wn2yj04s
自作の"Polka pose"は1974年に録音しているが、ここでは再録音で収録
https://www.youtube.com/watch?v=IUgLTL7DJbg
最後の"Polka memories medley"は1976年の録音のバージョンより長く、楽しそうに歌うボビーの姿が目に浮かぶよう。

https://www.youtube.com/watch?v=f4xhdJv7a_s

 カーブから発売された7枚のアルバムのなかではコンセプトがはっきりしており充実した内容ながら日本でのポルカの認知度を
考えると、やはり発売は見送られた。ラブ・バラードとともにボビーの得意とするポルカもコンサートでは"Polka medley"
として3曲が歌われるのみです。ポーランド系アメリカ人にはなくてはならないジャンルの音楽ではあります。異なる人種
が共存するアメリカでは様々なジャンルの音楽が聴かれています。ポルカもアメリカでは特異なジャンルではなく、
このポルカ集は貴重なCDであり、その明るいメロディーは日本でももっと知られてもいいはずです。

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以前にもお知らせしましたが、Biglobeでのブログは来年早々に書けなくなります。その後はブログの引っ越しの予定ですが、
とりあえず、現在のボビーの伝記は2015年の夏、活動を停止するまでは11月、12月中に現在のブログで終了したいので1週間に1度
のペースで仕上げてアップしていきます。どうぞ、ご協力をお願いします。

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EpicからはSony Music Special Productsから廉価版として"Bobby Vinton's greatest hits"が夏に発売。
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1981年にColumbia Special Productsから発売されたLP"Bobby"のCD化。14曲中、自身のヒットは5曲のみ他は
スタンダード中心の選曲でAlbum "Roses are red" "Sings the newest hits" それに現在までCD化されていない"Vinton"から3曲収録。
"It's a sin to tell a lie"(嘘は罪)

https://www.youtube.com/watch?v=kW3asjI61Lk

Epic/Legacyからは9月に"16 most requested songs"がリリース。シリーズでSonyの所属アーティストのなかからJazz, Vocal,
Easy Listening系のベスト物の編集でボビーのは、1960年代のヒットから16曲選択されているが、「砂遊びした頃」などがもれており、
’70年代の「二人の青い鳥」"Ev'ry day of my life" 「涙のくちづけ」なども収録してほしかった。また"To know you is to love you"はこれまで
発売されてきた録音とは別テイクが収録され、マスターテープの取違と考えれる。Andy Williams, Johnny Mathis, Doris Dayなどは
第2集も発売されており、スタッフの評価がそれほどでなかったことが伺われる。

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 この年もツアーもは続けています。
Oct. 10-14 Golden Nugget, Las Vegas
Dec. 31 Lake Tahoe, Nevada
この他Chicago, Baltimoreなどの公演もはいっていました


ツアーの合間にコメディアンのGeorge Burnsとの共演盤が制作され放送局にPR用にCD singleが配布されました。曲は
"I know what it is old(to be youg)"という作品。

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https://www.youtube.com/watch?v=mvSWk7QfKgo
Duetの相手は人選の上でバーンズに決まったようですが、曲は新曲ではなく映画俳優で監督でもあるOrson Wellesが1984年
に録音し日本でも当時発売されています。日本なら「敬老の日」を思い起こされる作品ですが、この曲を中心としたアルバム
の制作がすすめ翌1992年のはじめにも発売の予定でしたが、半年程延期されますが、詳しい事情は不明です。
(50)アメリカでのショウ鑑賞記

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1992年の夏、筆者は意を決してボビーのアメリカ公演を見ようと、8月5日,日本をたちNew York経由でPennsylvaniaのPhiladelphiaに
はいり,8月8日フィラデルフィア郊外にあるKeswick Theaterに向かいました。車社会のアメリカでは劇場までの公共交通機関がなく
やむなくタクシーに乗りましたが、ドライバ―も劇場の場所がわからず、あらかじめ劇場側から取り寄せておいた中心街からの車での
道順が記入されたペイパーを渡し、約1時間で劇場に到着。帰りの車の手配を考え、ドライバ―に18時頃に劇場に迎えて
きてもらう手はずをとり、16時からの公演をみました。

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会場の収容人員は1300名ほどで2階はなく前座のコメディアンの漫談のあと、ボビーが「マイ・フェア・レディ」の
「踊り明かそう」を歌って登場。ところがボビーの声がおかしく、「ホテルのエアコンの故障でこんな声になってしまいました。」
と言いながらも、最後までステージを努めました。この日は16時と20時の2回公演があり、どちらも"Sold out". Standing Ovationは
2度あり"God bless America"(フィラデルフィアはアメリカ独立発祥の地です。)とラストの"My melody of love"(愛のメロディ―)で、
その他George BurnsとのDuet曲"I know what it is old"はソロで歌い、ストリングスの代わりに1名にバイオリン奏者をいれていたのは
日本公演と同じでした。この頃のステージでは、当時、チャートで話題になっていた作品を披露する事が多く、コンサートでは
Nat King Cole & Natalie Coleのduet盤がグラミー賞を受賞した"Unforgettable"を歌い、客席からは歓迎された。

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 実の年齢よりも若くみえ「涙の紅バラ」のヒットから30年経過したと述べた時の客席の反応はなんともいえないものでした。
公演のあと劇場のマネジャーとかけあい面会をと思いましたが、ボビーの体調不良で実現しませんでした。

 日本からコンサートを見に行ったりすると、こんなものかと思いましたが、その後の渡米でのコンサート鑑賞の折には、声の調子も
まずまずで、あきらめずに継続することが大切と思いました。

 帰りのタクシーはドライバーが指示どうりに迎えにきてくれ、料金は"It's up to you"といってくれましたが、$20を渡しホテルに
もどりました。ホテルの近くのCD shopにはまだ7月下旬に発売されたCD"As time goes by"は店頭にはなくNew Yorkで購入。

<CD ”As time goes byについて>
このCDについて二人が語った1992年1月の映像があります。

https://www.youtube.com/watch?v=2knjAyYaaqM&t=16s
George Burnsはこの時96歳、1996年5月に100歳で他界している。ボビーはこのアルバムについてスタンダード中心の作品
といっているがスタンダードといえるのは"As time goes by""Young at heart" "You've changed"位でボビーのヴォーカルでは
"Let the heartache begin"が目立っている。英国のLong John Baldly盤が1967年全英第1位を記録した作品。

https://www.youtube.com/watch?v=2knjAyYaaqM&t=16s
"I believe(I'm in love with you)"は自作曲でスコアは1987年の「サンタが街にやってくる」のそれを使用している。
https://www.youtube.com/watch?v=QsRRk2nKcYI
”You’changed"はJazz Vocalistに数多く録音されている作品。
https://www.youtube.com/watch?v=i86qpCTKOrQ
タイトル曲の”As time goes by”(時のすぎゆくままに)は二人のduoで歌われる。

https://www.youtube.com/watch?v=ubTnCpRH-fw

全体としてボビーの出来は上々。George Burnsの歌は「語り」といったほうがよく、ここで録音されている作品は
大部分が過去にNashvilleで録音されたことがあり、新鮮味に欠ける。制作・編曲はMichael Lloydでカーブでの後期の録音は
Lloydが関係しているが、アルバム"Timeless"から"How old do you get"が選曲されるなど、構成にもやや疑問が残るアルバム。
ボビーの意欲は十分伝わってくる作品であり、選曲・構成にもう一工夫あれば名盤になったと思われ惜しい。
映像ではこのアルバムが成功したらBig bandのアルバムを制作したいと語っているが、実現しないままカーブ・レコードを離れる


 この年にはSMSP(Sony Music Special Products)からCD”Roses are red”がリリースされています

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Album ”Roses are red”のCD化ではなく10曲入りの編集盤でNo.1 song 4曲にシングルのB面としてリリースされた
自作曲3曲が収録されています。
"Beat of my heart"

https://www.youtube.com/watch?v=E2PnCYu4GB4

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<Bransonとの出会い>
ボビーはこの年、10月27日-29日にかけてミズーリ州ブランソンの"Roy Clark Theater"でコンサートを開催。

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カントリーのメッカ、ブランソンでのショウでの観客の入りを心配したボビーでしたが、3日間とも満席となり、自身を深めた彼は、
ポピュラー・シンガーのJohn Davidsonや日本でもお馴染みのAndy Williamsが自身の劇場を立て、連日公演を行っている事実を確認。
女・子供が夜間一人で出歩いても安全な治安の良さがあり緑が多く、ゴルフ場や釣りの名所として、この頃全米でも注目が集まっていたのです。この街にボビーは魅力を感じたようです。

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ボビーはこのあと、12月3日の"All American Music Awards show"で司会を務め、翌年後半にBransonに自身の劇場
のオープンを告げ、観客を驚かせます。12月31日、1月1日、2日とAtlantic CityのTrump Plazaに出演のあと1993年前半のツアーを
大幅に削り、L.Aの自宅を売却しBransonに劇場を立て、住まいも建設、7月の劇場オープンを目指し、日程をくんでいきます。

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(51)ミズーリ州ブランソンに劇場をオープン”Blue Velvet  Theater”

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BransonのBlue Velvet Theaterのオープンは天候や建築の補強等で9月11日に延期されましたが、オーケストラはグレン・ミラー財団が
公認した17名からなるGlenn Miller Orchestraで観客は約1300名収容できヨーロッパ調の装飾で水曜を休みに設定し当初は毎日14時と19時の
2回の公演を行い、12月-翌年3月の間はツアーにでるという日程を組みました。
Wayne Newton Theaterが1993年5月1日、Tony Orlandoの"Yellow Ribbon Theater"が7月4日にそれぞれオープンしPopular Singerの劇場
はこの後も続きました。筆者がこの地を訪ねたのは1996年の9月で詳細は後日に掲載します。

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 劇場には"Souvenir shop"がありボビーの奥さんのDollyが経営しており、T-shirts, キー・ホルダー、コーヒー・カップ、絵葉書などが
販売されていましたが、この年の暮れから、未発売音源を収録したCollectors SeriesがCDとカセット・テープで
販売され、通信販売でも入手可能でした。全部で5枚あり、それぞれタイトルがついています。第3集の一部を除きボビー自身で
マスターテープを管理する1974年以降の録音が収められています。
Vol. 1 Branson, Mo

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第1集では自作の"Shalom"が初登場だが21世紀に別のレーベルでリリース。「愛のメロディ―」「やさしく歌って」
"And I love you so" "My special angel"など全11曲収録。
Vol. 2 He

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第2集では、日本でお馴染みの「パロマ・ブランカ」が初CD化。その他"Born to be with you" "May I have the next love with you"
が初登場。他に「追憶」「愛のフィーリング」「ムーンライトセレナーデ」など全11曲収録。
"May I have next love with you"

https://www.youtube.com/watch?v=jdAlMtIJ2pM
この作品は1968年英国でMalcolm Roberts盤が全英8位を記録。アメリカではAl Martinoが録音しましたが、ヒットせず、ボビーは
ABC在籍時に録音したようですが、なかなかのできです。
"Born to be with you" Sonny James, Anne Murrayなどが録音した作品。

https://www.youtube.com/watch?v=mdqcRFibBBM
Vol. 3 Greatest hits
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第3集はEpic音源のNO.1ヒット4曲に"Tell me why" "My heart belongs to only you" "Blue on blue"のほか "I love how you love me"
"Sealed with a kiss"が別テイクで収録。その他"What's Another year"(1980年のEurovison song contestでJohnny Loganが歌い優勝した
作品。)が収録。全11曲。
”What’s another year"

https://www.youtube.com/watch?v=jdAlMtIJ2pM
ここまでの未発売音源はABCで録音しお蔵入りいていた作品がほとんどらしい。
Vol. 4 Country album

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第4集には全11曲中5曲が初登場。その他"I go to pieces" "Dick & Jane" "Only love can break a heart"なども収録。
初登場曲はTapestry, Curbで録音し未発売の作品らしく作者のクレジットがなく詳細が不明な作品が5曲あり
クレジットをつけて欲しかった。

"Not enough roses in Texas"
https://www.youtube.com/watch?v=-H9R_9JrJ50
Vol. 5 Polka album
第5集には1976年のアルバム"Party music"からの作品をメインにすべて既発売作品12曲を収録。「朝焼けの少女」「ビア樽ポルカ」なども
聴ける。


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この5枚はTapestry Recordsの名義で発売され音質はまずまず。第3集のみEpicの音源を使用しているためSony Music Specialが提携し
後に一般のCD shopでも入手できました。

劇場の立地場所はよく、Andy WilliamsのMoon River Theaterが歩いて5分位の距離にあり、両劇場をはしごする観客も多くいました。
ともに1960年代が全盛期でCBSを退社したあと、いろんなレコード会社に所属後、Curb Recordsと契約した点など多くの共通点が
あります。相違点はボビーがブランソンで初めてBig Bandをとりいれ、ステージで母親をはじめ家族でのFamily Showを目指した点です。

この時点で劇場の数は50を超え、Glenn Campbell Goodtime Theater, Lawrence Welk Theaterなどの他、Pat Boone, Brenda Leeなどの
劇場など日本でもお馴染みのスター達も劇場をたてていました。

Bobby with Glen Campbell & Andy Williams 3人はゴルフ仲間で気があったようです

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日本からの最寄りの空港はミズーリ州のSpringfieldですが直行便はなく、シカゴ又はダラス経由で行くのが一般的なようで、そこから
ブランソンまでは車で1時間30分ほどはかかります。

Las VegasやAtlantic Cityのようにカジノはなく、静かな田舎町として知られています。
 
 ボビーの劇場オープンを祝うように翌年から通信販売商品を中心に編集CDが多数リリースされ、再認識する傾向が
でてきました。

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(52)編集アルバムのりりースが盛んに

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 劇場の運営が軌道にのってくるとボビーの全盛期の録音を復刻すべく1994年にはボビーの編集CDが多数の
レーベルから発売されました。
(K-Tel 8017-2) My greatest hits('94)は全22曲入りで「涙の紅バラ」から「愛のメロディー」まで初CD化の作品も多く
”Ev’ry day of my life" "Coming home soldier" "I'll make you my baby"のほか"This is my song" "Unchained melody"
などがオリジナル音源で収録され廉価で販売されたが、日本の量販店等では見つけられなかった。

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最もおすすめしたいのはReaders Digest社から発売され3枚組CD"His greatest hits and finest performances"(096C)で全60トラックで
この時点では初CD化の"Copacabana"でのライブから4曲のNo. 1ソングや「愛のメロディー」なども収録。Epicでの主要なヒットと
スタンダード・ナンバーで構成。
CD 1: Bobby Vinton's all time greatest hits/More of Bobby's all time greatest hits
CD 2: Sentimental journey/Bobby sings your '40s favorites
CD 3: Bobby sings your '60s Favorites/All time movie memories/On stage ...in concert

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アメリカとカナダで通信販売で提供されアメリカ盤のみ詳しい曲目解説をつけたブックレットがついている。
カセット・テープでも販売。
"Sentimental journey"(Bobby Vinton & his orchestra)

  https://www.youtube.com/watch?v=LYKDc8vcNxw

この他"Bransonds"からBransonで活躍するアーティストのCDをシリーズで発売する"Ultimate"seriesが登場し
Andy Williams, Wayne NewtonなどとともにBobby Vintonもラインアップされましたが、内容は1993年にSMSPから
リリースされた"Bobby Vinton’s greatest hits"と同様でSonyの音源が使用されています。

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Bobby & his son Robbie on stage.
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1994年劇場のショウは4月に再開。ショウは2部構成で途中20分ほどの休憩をはさみ、全体では2時間を超すサービスぶりで
母親のドロシーのステージやMusical「オペラ座の怪人」からのワンシーンを再現した演技・歌唱が話題になりました。
構成は3ヶ月程度で変更し、若いころ地方公演で主役を務めた"Music man"の再現なども加え、観客を飽きさせないような配慮がみられました。
当時、日本ではブランソンの事情は、ほとんど報道されず、TVで報じられたのはAndy Williams, Osmonds TheaterのJimmy Osmond, 現地で活躍していた日本人の"Shoji Tabuchi"(田淵章二氏)Theater位で,ボビーの劇場についてはほとんど報じられずここでも持って生まれた地味な面が
でてしまった感じです。

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 CDのリリースは続きます。
"A Very merry christmas"は1964年にLPでリリースされたクリスマス・アルバムで彼の代表作。SMSP(Sony Music Special Products)
から1994年の暮に発売されました。

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”Christmas tree"
https://www.youtube.com/watch?v=CbHfIS012DA
翌年にはEpicからオファーがあり新曲"Kissin' christmas"を中心としたCDをリリースしたいというものでした
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このCDは、先の"A very merry christmas"から6曲それにTapestryで1987年にだしたクリスマス・アルバムの5曲を加えて年末には
Billboard誌には一面の広告を出すほどのプロモートを行いました。

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”Kissin' christmas"
https://www.youtube.com/watch?v=Qsu6AZXPoCs
Tapestryで録音されたクリスマス・ソング5曲はEpic, Curbの2つのレコード会社に提供されたわけですが、劇場ではTapestry盤が
カセット・テープで販売されていました。

 ボビーは11月から始まるHoliday Seasonのショウを"Kissin' christmas show"として劇場のショウからクリスマス・ソングの箇所を
編集してビデオ・テープを制作し翌年発売しました。約60分の内容で当初、発売したビデオでは"Joy to the world"で歌詞を間違える
シーンも収録されており、再編集して「ブルー・ファイア」"Dearest Santa"なども加え修正して発売しましたが、ケースにはその
表示がなく、テープが修正後のものか、修正前のものかは、視聴しないとわからない状況でした。Perry ComoやAndy Williamsは
クリスマス・ショウが売り物でしたが、ボビーのショウは通常のショウとクリスマス・ナンバーのミックスのため、一部を切り出して
編集しても、一貫性を欠き、また制作を外部に委託せず、劇場でおこなったため、全体的に今一歩の出来でした。

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 地元のBransonではTVで放映されましたが、販売は劇場のみで全米でのセールスは期待できませんでした。
VideoのClipです

https://www.youtube.com/watch?v=hg0RjpsGiC4
"Dearest Santa"1964年ヒットしたクリスマス・シングル
https://www.youtube.com/watch?v=G1Ghu_yxYfI
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 筆者は仕事があり、渡米できるのは夏休みか年末年始しかなく、年末年始はブランソンが閑散期にはいるため、夏(7-9月)しか機会がなく
なかなか休みとあわずとりあえず、Atlantic Cityでのショウを見ようと1995年の12月の年末のショウを鑑賞すべく、計画を練りました。

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(Atlantic City view)


(53)Atlantic Cityのコンサートを鑑賞/夢の実現Bransonへ

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 Atlantic CityはLas Vegasとならんでギャンブルとエンターテインメントの聖地。1990年代から急速に整備されショウの開催できる
豪華ホテルが続々、誕生。一時は観客の動員でVegasを上回った時期もあった。New Yorkから車で2時間ほどの場所にあり日帰りも
可能。ボビーは’90年代の後半Donald TrumpのTaj Mahalに何度も出演し、円熟期を迎えた彼のパフォーマンスは観客を魅了していた。

 筆者は通算で6度ほど、Atlantic Cityでのコンサートに接したが、そのうち5度はTaj Mahal Hotelで最後の6度目はホテルが閉鎖
されたためTropicana Hotelに変更された。
 一番、頭を悩ませたのは、New Yorkとの往来で車で2時間はかかり、ツアー会社の用意した車、往復200ドル(当時の価格)で現地に
2時間滞在する日本人の経営する観光会社のセダン、そして一番確実なのはPort Authority Bus Terminalからでるグレイハウンドなど著名な会社の
長距離バスなどの手段があるが、おすすめできるのは最後の長距離バスで座席が広く、満席になることもなく比較的ここちよく
2時間の乗車時間も過ごせる点でAtalantic Cityにはいるといろんなホテル前で降車し目的のホテルが終着となっている場合もあり便利。

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1995年は12月29-31日までボビーがTaj Mahalに出演。アメリカのファン・クラブのメンバー3名と30日と31日(New Years’s eve)のショウを鑑賞。生まれてはじめて年末年始を外国ですごしました。

30日のショウは午後8.00-9.45 31日は午後10.30-12.15で12:00前にカウントダウンがはじまり12時になると風船が飛ばされ
新年を祝い、その後"Polka medley"などが続きました。規定のためGlenn Miller Orchestraは同行できずツアーの専属オーケストラ
とCarol Jolinの後釜のTrish Fevoldと「オペラ座の怪人」のワンシーンを演じたのが白眉でその他, No. 1ソングの4曲はメドレーとは
切り離され歌われました。

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サックス、クラリネットの演奏技術は素晴らしいものでJazz Musicianも顔負けするほどでした。

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その他母親のDorothyが登場し、"When you're smiling"を踊りながら客席からは多くの拍手をえていました。ショウの構成は1992年の
Keswick theaterのそれと大きな変更はなく、テンポよく芸を繰り出しながら、トークも加え、客席とのコミュニケーションを
うまくとっていました。この時ボビーは60才。まだまだ現役で十分通用するショウでしたが、この後、Atlantic Cityを訪れた際は
公演時間が14時か15時からに設定されていることが多く、New Yorkから日帰りでの鑑賞が可能でした。最後にAtlantic Cityを訪れたのは
2014年12月でこの時期になると、ボビーも79才になり、ショウの時間も1時間に短縮されたのは、残念ではあったのですが、年齢的に
やむを得ない判断で受け入れざるを得ませんでした。

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 一番、残念だったのは、ショウのガイドをのせたEntertainment誌でボビーが表紙を飾ることがなく1面はTony Bennettなど現役
で新譜を発売し話題になるアーティストが中心になっていたことです。
Taj Mahal Hotelは現在はなく跡地にはHard Rock Cafe Hotelが立っています。


<いよいよBransonへ>
1996年9月14日に日本をたちダラスを経由してSprinfield空港に到着後、ツアー会社の用意した車で一路ブランソンに向かった。

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ホテルはBlue Velvet Theaterの近くで、まず16日(水)は劇場が休みであったため、Andy Williams Moon River劇場で19:00-21:15
までAndyのショウを鑑賞。驚いたのは館内放送が英語に続き日本語でされたこと、さらにロビーには日本人女性のグループもいて
ボビーとの人気の差を感じざるを得なかった。劇場は2000超の座席があり2階席もあり、小柄で髪がブラウンになり、かなり老けた
感じのAndyが突然現れたのは、客席で"Tribute to Henry Mancini"にはじまり、TVショウからの名場面をスクリーンに映し出したり
自身が出演した映画「彼女は億万長者」から"Almost there"から"Almost there"を歌うシーンが流され、このシーンに現在のAndy
が合成で車のなかのSandra Deeの前後・左右にすわったり、最後には車から降ろされ、駆け足で追いかけるなど客席からは
笑いが絶えない。後半の”100 years of movies"では映画の名場面をステージで再現、「ローズマリー」ではアンディ自身が
女装してカルメン・ミランダに扮し、ファンを驚かせる。ディズニーの「美女と野獣」など新しい作品も登場し最後は「めぐり逢えたら」
から"When I fall in love"で終了。コンサートの最後は「見果てぬ夢」で締めくくりベテランらしい堂々としたステージだった。
舞台装置はかなり凝ったもので、この劇場での公演にかける彼の意気込みが伝わってきた。

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 4月中旬から12月初めまで当初はソロ・コンサートを開催していたが、年齢を重ねるにつれてGlen Campbell, Petula Clark,
Ann Margretなどをゲストに呼び、体力をカバーしていった。正直、もうすこしにぎやかな街で幅広い年齢層に見せられたら
と感じたのは筆者だけではないと思う。
 2012年Andy Williams他界後は"Andy Williams Performing Arts Center"としてコンサート会場として利用されています。


<ボビー・ヴィントン・インタビュー>
9月15日、午前中に、BV劇場に向かい、以前に、訪問する際はマネージャーを務める次男のChris Vintonを呼ぶように手紙を
で連絡をうけていたのを受け、窓口にいき、Chrisとあい、16:30に劇場にくるように言われ、ステージの向かって左側の裏に
あるオフィス兼応接室に招かれ、そこでボビーと母親と顔を合わせ、約1時間のインタビューをおこなった。

 劇場で販売している”Collectors Series”のCDにはいっている未発表作品は新録音ですか?
BV: 20年位まえに録音したもので、廃棄も検討しましたが、息子たちがリリースをすすめてくれたんです。第4集の作品は
  それよりは新しい作品です。

 いままでリリースしたアルバムのなかで、一番気に入っているのはどのアルバムですか?
BV: ”Greatest hits"(1964)albumです。
 理由は?
BV: 「涙の紅バラ」「ミスターロンリー」などヒット曲が沢山収録されているからです。
 「ミスター・ロンリー」"Coming home soldier"など作品を共作したGene Allanは現在も業界で仕事をしていますか?
BV: 現在はHair Salonで働いています。

  1979年にカナダでリリースされたアルバム"100 memories"はどこで録音し100曲は誰が選んだのですか?
BV: Californiaで録音し選曲は自分でやりました。

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  "It was nice to know you, John"(ジョンに捧げる歌)を作曲し、録音していますね。ジョン・レノンの死を追悼した曲ですが、
どこでしりあったのですか?
BV: 事務所が同じで親しくなりました。

  日本ではあなたとAndy Williamsがよく比較されます。彼の事をどう思いますか?
BV: 彼は素晴らしい声をもっています。彼とはよくゴルフをします。

  Paul AnkaやNeil Sedakaは現在でも現役で活躍しています。彼らが人気を保てた理由は何だと思いますか?
BV: それは彼らが頭がよくてビジネス・マンだからですし、私の良き友人です。

  "He"という曲が最近のステージでは、ハイライトになっています。誰に勧められて録音したのですか?
BV: 母親です。

  あなたのアルバムには編曲者がクレジットされていないアルバム"Take good care of my baby" "Country boy"などが
 あります。"I love how you love me" "Please love me forever"なども編曲者が明記されていません。編曲は誰がしているのですか?
BV: Musicianが集まって譜面をみてプレイするので特に、編曲者はいません。

  好きな歌手は誰ですか?
BV: 男性ではJohnny Mathis. 女性は(しばらく考えて)Connie Francisです。

  生年について1935年と1941年説がありますが、正しいのはどちらですか?
BV: 1935年ですが、母親は1941年といっています。
日本からツアーの話がでていましたが?
BV:8月の来日と言われ、劇場を離れられない時期で、日本の夏は暑いので今回は見送りました。

 
持参した日本盤シングルの写真を見せるとボビーは「恋する二人」"Coming home soldier"の写真が珍しかったらしくいるように
見ていた。

J45coming.gif
また1966年のサンレモで歌った"Io non posso crederti"(あなたは信じられない)が日本でリリースされて
いたことに驚いていた。そばにいた母親はシャイな感じの人でかなりの高齢。日本でBV劇場が知られていないことに
がっかりしたものの根強いファンが多数いることに驚いていた。

bvwithdorothy.jpgBobby and his mother Dorothy
1時間ほどのインタビューでしたが、ボビーは19:00からの公演の準備のため17:30ごろ、席をたちました。

その日の夜のコンサートのチケットは招待客の席に交換してもらうことができ、いったんホテルにもどりました。
(54)劇場でのショウ/Bransonの曲がり角


bvdorothy3.gif

インタビューを終えたあと、同日の19時からのショウと17日の14時からのショウと2度劇場を訪れた。17日のショウは途中15分の休憩
をはさみ、2時間たっぷり、観客を楽しませるショウで"Let me entertain you/Lovely way to spend an evening"で始まり、前半では"Roses
are red" "Mr. lonely"の2曲のNo. 1 songを中心に母親のDorothyの"When you're smiling"やMusical"Music man"から1場面を再現、
その他、Medley: Blue on blue/Sealed with a kiss/I love how you love me"などをはさみ、"God bless America"で前半を締めくくった。

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後半はGlenn Miller Orchestraの演奏でMedley: Moonlight serenade/Serenade in blue"でオープンしたあと1964年のNo. 1ヒット
"There! I've said it again"を歌いボビーが登場。Hit Medley, International medleyのあと3人の娘との共演で"In the mood/Don't sit under
the apple tree"でファミリー・ショウを印象付け、次の「オペラ座の怪人」のメドレーではTrish Fevoldとの共演で観客を魅了したあと
bvphantom.jpg
"Blue velvet" "My melody of love"で大きな歓声をうけたあと、いったん退場し"He" Instrumental medleyで得意の楽器演奏を終え、
ショウを締めくくった。全体的によく考えられた構成で、客席は、ほぼ満席で若い人の姿も見られた。

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BV劇場のあと最後のショウとしてTony OrlandoのYellow Ribbon theaterを選び、ホテルから山の手にある劇場に向かった。
タクシーはショウの終了予定時刻ごろに迎えにくる手はずで、期待したショウだったが、不入りで、立地場所も影響している
と感じた。一部は愛息のJon Orlandoのトークショウ。30分ほどでTonyが「魅惑の宵」を歌って登場。その後「幸せの黄色いリボン」
「ノックは3回」「恋するキャンディダ」などTony Orlando & dawnのヒットを披露。20分位、休憩のあと"Juke box dreams"と題し
’50年代後半のヒット曲をそれぞれの衣装をまとった人形で登場し会場をわかせた。最後は「オズの魔法使い」のセットを再現し
トニ―はライオンの衣装で熱演した。ショウの内容はまずまずでが、「存続は大丈夫か?」と考えるような不入りが心配だった。

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ただギフト・ショップはここが一番充実していて小物が多く、記念になるような品々が並んでいた。

orlandogift.jpg
bvandy.jpg Andy Williamsの劇場にはMOR系のアーティストがよく集まりました。(右の二人はTony Orlando, Jimmy Osmond)
Bransonで3泊しましたが、治安はよく、静かな田舎町という印象で、現在では、ポピュラー・シンガーの劇場は、ほとんどなく、新しく
できたMansion Theaterなどに、時折、Johnny MathisやNeil Sedakaなどが出演する位で、カントリー・シンガーも多くは撤退しています。
事前に公演予定を調査して訪れることをお勧めします。

劇場では2001年に発売されたビデオで1995年の1月28日のカナダのモントリオールでの公演を収録したビデオで当時カナダではTV
で放映され、劇場側が権利を取り、ビデオ化して発売。収録時間は50分でカットされている箇所が40分ほどあり十分にショウを
評価することはできませんが、広いコンサート会場で改めてカナダでの人気の高さを感じます。

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映像をみる限りこの日のボビーはやや興奮気味で、体調が万全ではなかったように思います。
ハイライト映像

https://www.youtube.com/watch?v=1rgPECrtkz8
のちにDVD化され"Mr. lonely"が追加収録された。劇場販売のみで、日本での入手は容易ではない。

1998年ごろになるとブランソンから撤退するアーティストも増えボビーも年齢を考慮して1日1回公演として"Spirit of Dance"というアイルランド
のダンス・チームと交代で出演するようになりその分、北米のツアーへと軸足を徐々に移していく。劇場のコンサート映像が全米で放送される
のは2002年でDVDとVideoが発売されるまで、全米でボビーの劇場でのショウの評価が定まるまでには、もう少し時間がかかりました。

次回はその映像化されたコンサートの映像を中心にお届けします


Live: Songs From My Heart [DVD] - Vinton, Bobby, Vinton, Bobby

(55)Songs  from my heart/Bobby Vinton  Live

2002年ボビーは歌手生活40年を記念し、BV劇場で記念のコンサートを開催しました。劇場を満席にしてのショウはTV局PBSで順次
全米で3月から放映されDVDとVideo tapeで9月に商品化され、内外で高く評価されました。
 市販された映像は77分ですが、実際ののショウは90分のため若干のカットがありますが、当時67才のボビーは、全盛時に比較
すると声の艶が少し落ちたようにも感じられますが、最後まで、精一杯のパフォーマンスでファンを魅了しました。
ショウのハイライト映像です。ここでは、4曲のNo. 1ヒット、"Blue on blue/Sealed with a kiss/ I love how you love me" 愛のメロディー
その他のヒット曲が歌われます。

https://www.youtube.com/watch?v=Kvc6HwP2Iy8

ショウ全体は次で。少し長いですが、Musical number"Tonight"ではじまり、”Chopin medley” "Al Jolson medley" ”Big band medley” "Friends in rock medley"など
盛りだくさんの内容で、自身の歌手生活を総括するような内容で、ようやく映像で本領を発揮できた感じです。
母親をはじめ、3人の娘さん、長男のRobbieとの共演など、心温まるファミリーショウで日本で発売されなかったのが残念です。

https://www.youtube.com/watch?v=lpqoMJq1b_4&t=1293s
なかではラスト近くで歌われるRoy Orbisonの"Crying"がハイライトです
”Crying"
https://www.youtube.com/watch?v=7cs_LL8EwDE

アメリカで廃盤になるとオランダでDVDとCDで2013年に廉価で再発されています。

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CDはアメリカでの発売はなく、音声はすべて映像からとられています。
"There! I've said it again"
https://www.youtube.com/watch?v=fb1tztmH34A
DVDはアメリカ盤(Region1)、オランダ盤(All region)とも現在では入手が困難になりつつあります。上記のWeb上で鑑賞できます。
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2002年秋、ボビーは劇場で頻繁に公演していたDance team "Spirit of Dance"のProducer, David Kingに劇場を売却し、劇場名
は"Branson Variety Theater"に変更されました。

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ボビーは劇場を売却後もここで2度、凱旋公演をおこなっています。

劇場で販売されたCD

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1998年ボビーは新作CD"Passion"を録音し販売先を模索しましたが、結局、劇場でTapestry名義で販売、日本公演の際、名刺交換
をした音楽評論家にも送付しましたが、日本でも販売の目途はたちませんでした。制作はTed PerlmanでBob Dylanの友人でもあり
Neil Sedaka, Stevie WonderなどのCD制作にも協力し、最近、注目されている人物ですがボビーとのかかわりは"Kissin' Christmas"の
編曲を担当した点です。収録作品には"Adios amigo" "Gypsy love" "Papa look I'm in love" "What did you do with your old '45s"など
過去に録音した楽曲が多く、新鮮味にかけ、"I love how you love me"では感情表現がやや過剰気味で”Don’t play that song" "Dance with
me tonight"などの自作曲は、あと一歩の感があります。
"Don't play that song"

https://www.youtube.com/watch?v=G21pM4hXUjA
"Dance with me tonight"
https://www.youtube.com/watch?v=ED_c4PlFbv8
歌のうまさは、ましているが、核となるような作品がないと、セールスの向上は、容易ではない。
ステージで披露していた「オペラ座の怪人」メドレーなども加えてもよかった。


2002年にSony Musicと提携してリリースされた"Melodies of love"(A59797)にはAlbum"Tell me why"から4曲、"There! I've said it again"から
4曲、さらに「いそしぎ」「サンライズ・サンセット」「砂遊びした頃」「愛のメロディー」を収録。

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全12曲いりで"I can dream can't I"は初CD化。
   https://www.youtube.com/watch?v=J9NvbWQKuUg

通信販売で発売された"Very best of Bobby Vinton"2001(TV music 4U A2 52296)は2枚組で主要なヒットのほか"Blue moon" "Misty blue"
など全30曲収録の徳用盤。

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https://www.youtube.com/watch?v=lC1MO6zDXrM

このあともCDの復刻が続きます。

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(56)


オリジナル・アルバムのCD化が実現/その他のCDリリース




アメリカのSony MusicはJazz, Rock, Soul 系に比べEasy Listening, MOR系Vocal系アーティストのアルバムのCD化に積極的では
なく、例えば’60-’70年代初めにかけて数多くのゴールド・ディスクをだした、Andy Williamsについてはベスト物、クリスマス・アルバム
を除いてCD化したアルバムは"Moon river" "Love story"位でファンは数多くのLPを待望していた。そこに目を付けた復刻を専門とした
レーベルが21世紀になると登場した。Collectables, Collector's choice, Taragon Recordsなどで、Sony Musicに関してはCollectablesが
数多くのアルバムを2オン1の形でCDをリリースした。Percy FaithやAndy WilliamsなどはColumbiaでリリースされた大半のアルバム
がCD化された。Bobby Vintonに関しては2001年から翌年にかけて、7種14枚のLPがCD化されたが、"Blue velvet" (1963)
”There!I’ve said it again"(1963) "Vinton"(1969) "Greatest hits of love"(1969)の4枚は以前未CD化のままになっている。


Collectables 6864 Mr.lonely/Country boy(Aug. 14, 2001)

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Collectables6865 Tell me why/Sings for lonely nights('Aug. 14, 2001)

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Collectables 7422 Sealed with a kiss/With love('Nov. 13, 2001)Out of print (O. P)
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Collectables 7421 Take good care of my baby/I love how you love me('Feb.5, 2002)
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Collectables 7423 Please love me forever/My elusive dreams(Feb. 5, 2002)O. P.
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Collectables 7440 Every day of my life/ Satin pillows(Feb. 5, 2002)O. P.
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Collectables 7441 Live at the Copa/Drive-in movie time(Feb. 5, 2002)

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最も評価の高かったのは"Take good care of my baby/I love how you love me"で前者は日本ではLPも未発売。
以外に売れていないのは"Mr. lonely/Country boy"のセットで日本では映画「ミスター・ロンリー」の公開にあわせて、紙ジャケットで
発売された”Mr. lonely”のアルバムとNashvilleで録音された"Country boy"のセットで特に後者の出来がいいだけにこの結果は意外。
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No. 1ヒットをタイトルとしたアルバムは過去の3枚はTOP10入りしたが、"Mr.lonely"は18位が最高位。どちらかというと中級者向き。
2003年には"25 All time greatest hits" Varese Sarabande 302066512 2(Oct..21, 2003)が発売されます。1972年にLPででた"All time greatest hits"
に5曲加えた内容ですが、現状ではEpicでのヒットが数多く収録されており、徳用盤といえますが、できれば「愛のメロディ」を加えて
もらいたかったと感じます

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同時期に日本ではCD「スター・ボックス」が発売されましたが、20曲の収録で後期の作品が大幅にカットされておりおすすめできません。

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2013年にドイツでリリースされた"Ultimate Epic Singles Collection"(SPV 265942)は2枚組でタイトルとは異なりエピックで発売された
シングルの内チャート・インしたシングルをまとめたアルバム。ただマスターテープは英国のSony Musicからで"Red roses fro Mom"
"I've got that lovin' feelin' again"はモノラルで収録されている。アメリカのマスターを使用していれば、おそらくステレオで収録
されたはずで、本来アメリカで発売されるべき内容でもあり、音質も普通。また1964年のクリスマス・シングル"Dearest Santa/Bell that
couldn't jingle"はクリスマス・チャートにはいっており、収録してほしかった。全40曲いりだが、すでに廃盤で入手は難しくなっている。
"I've got that lovin' feelin' again"は自作曲で"No arms can ever hold you"のB面としてリリース。この曲のみチャート・イン
していません。

https://www.youtube.com/watch?v=N3z2dqJKOGI
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アメリカのSony Musicから2004年に発売された"Best of Bobby Vinton"(Epic EK 85873)は14曲いりでエピックでの代表作
を収録しており、録音データが詳細に記載されており、音質のよさとともに聞き逃せないが、すでに廃盤になっている。

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この他SMSPから"Greatest hits"(2002) "Love songs"(2003)も発売されている。
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2005年にはカナダで"Collections"が発売され日本でも「はじめてベスト」と題して発売された。「愛のメロディー」「ブルー・ムーン」
が収録されている。

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まだまだ各国でCDの発売は続きます
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(57)A & E biography/Akonが「ミスター・ロンリー」をサンプリング

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Arts & Entertainmentの”A & E biography"は1987年の4月より米のケーブルTVで放送されているTV番組でDec. 5, 2001にBobby Vinton
の伝記が紹介された。 (50 min.)
Chris Vinton, Dolly Vinton, Dorothy Vinton, Clive Davis, Merv Griffin, Tony Orland, David Wilde(Rolling Stone Magazine) などが
登場してコメントを述べるとともに、ボビー自身も登場し、過去の珍しい映像も紹介される。「涙の紅バラ」”Jimmy Dean Show”
"Blue velvet" Ed Sullivan Show, 「ミスター・ロンリー」"American bandsatnd" 「愛のメロディー」"Bobby Goldsboro Show"
「ミスターロンリー」と「愛のメロディー」は口パクで収録されているのが残念だし、後半はすこし走りすぎており、自伝の刊行など
が飛ばされて、TVの"Bobby Vinton Show"の映像もごくわずかで、最後は、ブランソンに劇場をたて公演するまでで終了しており、
50分という時間制限のなかでは、伝えきれない情報も多く、せっかくの伝記番組なら、もう少し踏み込んでほしかった。
番組から1シーン。

https://www.youtube.com/watch?v=LoZyDsLci3Y
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若いファンには"Lonely"「ミスター・ロンリー」(Gene Allan-Aliaune-Bobby Vinton) Akon(エイコン)が「ミスターロンリー」を早回しで使用し2005年全米4位 全豪、全英、全独第1位を記録した事も驚きだったはず。
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https://www.youtube.com/watch?v=6EEW-9NDM5k
<続くCDの販売>
Varese Sarabande 302 66728-2 Because of you: Love songs collection( Apr. 25, 2006)はABC以降の録音から16曲選曲。
「愛のメロディー」はRemix version, B面の"I'll be loving you"は同名異曲。自作の"Shalom"が収録。
https://www.youtube.com/watch?v=weDJatG4MAg
その他、”My special angel” "Don't you know" "You'll never know"は公式のCDでは初登場。その他は1977年のアルバム"Name is love"から
自作曲5曲などが収録されているが、どうせなら「ビア樽ポルカ」"Dick & Jane" "Wooden heart" "Moonlight serenade"などヒット
曲を収録してほしかった。すでに廃盤。

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同年にリリースされた BV1007 Shalom & other songs written by Bobby Vintonは全11曲いりで、こちらも
1974以降の自作曲の集大成。
Varese SarabandeのCDと似通った内容で、推測だが、このCDの発売がきっかけで"Because of you"の発売につながったのではと考えられる。
1998年のCD"Passion"から4曲収録され若干テイクが異なる。ここにも"Shalom"が収録され、残りは自作曲でAlbum"Name is love"から
4曲収録されている。コンサート会場などで販売されていたようだが、すぐに廃盤になった。力作だが、やや自分の世界に
陶酔しすぎとも感じる。

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ABCの録音では欧州で"Melodies of love/Heart of hearts"が2 on 1 CDの形で2008年に販売された。
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著作権の保護期間50年が過ぎるとAlbum"Roses are red" "Sings the big ones"を収録したCDが欧州でさまざまなレーベルで発売された。
Jack Pot 48746 ”Roses are red plus sings the big ones”も その1枚で全28曲入りでボーナス・トラックに"Blue velvet" "Over & over"
"Let's kiss & make up" "You and I"が収録。

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アメリカのSony Musicはリスナーからのリクエストに応じる形で"On demand"のCDを2013年と2016年に
Sony Music on demand(Sony Mod)として未CD化のアルバムを2枚CD-Rで発売。
”Greatest hits of the golden groups"(2013)
1963年にNashvilleで録音されコレクターズ・アイテムとなっていたアルバムで日本では未発売。ボビーの誠実さが伝わる好唱集。
全12曲収録。1950年代のヴォーカル・グループのヒット作品のカバーが中心


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”Sings the newest hits"は1967年のアルバムでRobert Merseyが制作・編曲・指揮を担当し、ボビーが優雅なヴォーカルを聞かせます。
日本では「いそしぎ」「この世の果てまで」"Coming home soldier"が発売されていますが、残りの7曲は未発売。
「野生のエルザ」「愛のセレナーデ」「サンライズ・サンセット」「ジョージ―・ガール」など日本で発売されていないのが
不思議です。こちらもCD-RですがアメリカのAmazon.comの独占販売です。

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2001年ドイツのBear Familyから発売された"1000 nadel stiche: American & British artists sing German"(BCD 16493AH)には
ボビ-のドイツ語での録音4曲"Roses are red" & "Rain rain go away"(Both in German) "Mondscheinallee" "Samoa baby"が収録され
現在でも入手可能です。

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<Las Vegasの想い出>
日本公演の後ボビーはVegasでは"Golden Nuggets"などに出演していましたが、1989年ごろから街全体をテーマパークにすべく、ホテルの
改築、取り壊しなどがあり、ボビーの出演していた"Sands Hotel"などは解体されるなどし、しばらくVegasを離れAtlantic Cityに重点を
置くようになりました。
 筆者がVegasにいったのは2001年3月で9.11の半年程前で、入国審査に比べ出国審査は簡易なものでしたが、同時多発テロ以降、出国
審査も厳重になりました。3月の時点では、米国にはそんな雰囲気はなくDelta航空を利用しポートランドを経由してLas Vegasにはいり
ました。出演していたホテルは新築の"Paris Hotel"で

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2002年の劇場のショウのリハーサルのような感じで、90分のショウのため
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"Al Jolson Medley" "Chopin medley"などは、なかったが他は劇場のショウに類似していた。
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全体的な落ち着いたファミリーな雰囲気が感じられるショウでやはりRoy Orbisonの"Crying"がハイライトだった。1990年代は
"He"をクライマックスにしていたが21世紀になり"He"はクリスマス・ショウで歌うように変更したようだ。

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ボビーはショウが終わると次の公演地Lake Tahoeへ向かった。

翌年以降ボビーはメイン通から少し離れたところにある"Orleans Hotel"に3年程、出演した。ショウ・ルームは席数が800程度で日本人
の宿泊客も多いらしいが客室では防音設備が不備で、隣室の物音がもろに聞こえるなどホテルの評判はイマイチだった。

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ショウ・ルームに出演したのはEverly Brothers, Lou Rawls, Neil Sedakaなどオールディーズ系が中心でPaul AnkaやTom Jonesは
MGM Grand Hotelに出演していた。
2002年8月真夏のVegasはすごい暑さで外に出ただけで汗をかくほどで、ショウは20:00からだったのでホテルにもどり、時間の経過を
待った。ホテルのショウの料金は$40~$60の設定で$60の席に空席が見られた。開演早々、ボビーは「このホテルが好きです。」と
いったが、会場がやや狭くリップサービスと思った。ショウの内容は前年とほとんど変更はなかったがテロ事件のあとなので、観客にもどこか緊張感を感じたし、ステージ付近に警備員がいた。

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このホテルとの契約が終了するとNorth Las VegasのCannery Hotelと契約する。
Las Vegasには4度ほどでかけたが、ショウは「パリ・ホテル」1回 「オーリンズ・ホテル」3回で宿泊先はモンテカルロ及びMGMグランド
が1回。理由は前者がカジノ・スペースが少ない。後者は地下に日本食の料理店があるなどの理由。観光客はNew Yorkほど日本人を見かけず、
また日本人の経営する店も少なく、メイン通のホテルのレストランはほとんどがバイキング形式で値段はNew Yorkより高めで季節的には
11月頃が一番、過ごしやすい気候で、近年はFrank Sinatra, Sammy Davis, Jrなどの芸人が少なくなりロック、ソウル、カントリー系のスター
のショウが多くなり、アリーナのような広いコンサート会場でのショウが増えている。

bvvegaspotlight.gif 当時Las Vegas の情報誌の記事。
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(58)PBS my music  yearbook: ツアーから撤退

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2014年ボビーはTina ColeとPBSのTV番組"My yearbook: 1960-1963の案内役を務めた。番組は翌年、順次全米各州で放映され
DVD化され、通信販売(米国内のみ)された。冒頭で流された映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=M_CZKBO8L9o
このあと1960-63年のヒット曲が珍しい映像で20曲強流れます。一部、口パクもありますが、Connie Francis, Mark Dinning, Highwaymen,
Patsy Clineなどが登場します。DVDにはボーナス映像がついていますが、国内での入手は容易ではないでしょう。(中古ででまわる可能性
はあります。)

制作者のT J LubinskyとBobby

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ラジオでは1999年American Classic Network/2hour radio show program Bobby Vinton (2CD)放送されたプログラムで
Collectors seriesのCDなどを紹介するなど話し好きなボビーの本領発揮といったところです。放送用に局に配布されたCDで現在では
入手は困難に近いでしょう。

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2003年”Million dollar polkas” (Beautiful Music Company BMD-191)が米国で発売。ポルカの集大成CD。
この会社からは1991年"Roses are red my love!"のタイトルで1979年のアルバム"100 memories"がCD化されて販売されたこともあります。
いずれも通信販売で入手できたCDですが、この会社が現状どうなっているか不明です。

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2004年ボビーは故郷のキャノンズバーグに自身の彫像をたてるためボビーと同じ大学に通いファンでもあったJean Poppから10万ドルの寄付を依頼されるが、他の目的に使うべきとして申し出を断った。7万ドルを彫像に、3万ドルをその広報に使用する目的であったが
Jean Popp氏はボビーの同意がなければすすめられないとして、とりさげた。同郷のPerry Comoの銅像は設置されている。


2006年には
CD)Polka in paradise/Jimmy Sturr and his Orch.
Jimmy Sturrはポルカのスペシャリストでステージでたびたびボビーと共演しています。
 Special guest: Bobby Vinton/Rounder 11661-6115-2(July 11, 2006)Polka in paradise/Bobby Vinton 収録

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2010年2月1日-10日"Blue velvet crusie"を催し洋上でのパフォーマンスにファンは熱狂した。
https://www.youtube.com/watch?v=giMH9MMPGd0
October 16, 2015 CD"I was a teenage werebear" BSX Records 8902"Where were you when I was seventeen"収録。Tom Sullivan” I was a teenage werebear”のサントラ盤。
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2015年11月 "Complete Epic christmas collection(Real Gone Music RGM-0407)”が米国で発売。Album ”A very merry chrsitmas”ほかEP"Songs of Christmas" シングル"Christmas eve in my hometown" "Kissin' christmasなどEpicで録音されたクリスマス・ソングの集大成。復刻を中心にCD, LPを発売しているReal Gone Musicからのリリースで現在でも入手可能。

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2021年英国のAcrobat MusicからCD:" Bobby Vinton, early years: 1958-62"が発売。
1961年のアルバム"Dancing at the hop" "Plays for his li'l darling"の初CD化を含む2枚組でCD-R。

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<疲労との闘い>
2004年2月22日Pennsylvania州LancasterのAmerican Music Theaterでのショウの途中、ピアノの席に移り、ピアノを弾こうとした途端
その場に倒れこんだ。そこでショウは中止となり、ボビーには救急車も呼ばれたが楽屋で元気を取り戻し事なきをえた。
この時、ボビーは69才。
2014年9月アメリカのComedian, Joan Rivers(June 8, 1933 – September 4, 2014)は倒れて入院。葬式にはBobby Vintonに"M.lonely"を
歌ってほしいと遺書を残すがボビーは重度の肺炎で葬式に参列できず。別の歌手が「ミスター・ロンリー」を歌った。BobbyとJoanは
コンサートで第1部(前座)Joan Rivers 第2部 Bobby Vintonとしてよく共演した仲でした。

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2014年12月3日筆者はAtlantic City Tropicana Hotelの公演のあと舞台裏のボビーを訪ね日本でのCD「二人の青い鳥」のリリース
について説明。ボビーは喜び、ハグしてくれたほどです。ただ母親のDorothyは数年前に他界し、3人の娘の内、2人は日常に
もどり、残った次女のHannahがボビーをサポートしていましたが、ショウは1時間でアットいうまに終わってしまい、やはり79才という
年齢とやや元気のなさを感じました。

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2015年7月19日Delware州の"American Music Theater"で公演したあと、体に異常を訴え、その後の公演を延期しますが、
精密検査で「帯状疱疹」と診断され、ツアーからの撤退を表明します。当初は発疹と体の痛みに苦しみましたが、現在は
症状は落ち着いているようです。ボビーは2018年ラジオ番組で電話で出演し、自身の体調を説明しワクチンの使用を推進
しています。個人的には、まるで働き好きなボビーを神様が止めたように思えてなりません。(帯状疱疹は日本にも患者が多く、後に
適応障害となる例もあるようです。)

https://www.youtube.com/watch?v=faIdBrV8ut0&t=222s
ツアー日程の一部

Date Concert Venue Location
Sep 27, 2015(Cancel)
Bobby Vinton Little River Casino Resort Manistee, Michigan, United States
Sep 11, 2015(Cancel)Bobby Vinton Turning Stone Resort Casino Showroom Rochester, New York, United States
Jul 19, 2015
Bobby Vinton / Jimmy Sturr American Music Theatre Wilmington, Delaware, United States
Mar 20, 2015
Bobby Vinton Showroom, Golden Nugget Hotel & Casino Las Vegas, Nevada, United States
Mar 07, 2015
Bobby Vinton Fox Theater, Foxwoods Casino Mashantucket, Connecticut, United States

2020年3月 WABC Radio: Saturday nights with Tony Orlandoにゲスト出演。

bvtonysaturday
次の写真はこの放送のあと撮影されてもので、ごく最近のものです。
bvtony2020.jpg
現在ボビーはフロリダの自宅で生活していますが、レコーディング、ステージは年齢的にも困難な状況のなか時折
ラジオのインタビューなどは受けているようです。

 
















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